[コメント] バトル・ロワイアルII 鎮魂歌〈レクイエム〉(2003/日)
(大人)対(子供)という構図はいったい物語のどの辺りで消え去っていってしまったのか? 物語の冒頭で、また前作であれ程声高に叫んだテーマはいったいどうなってしまったのか?
過去60年でアメリカが空爆をした国を列挙し、「世界は平等なんかじゃない」と叫ぶ。それはいい。あれらの国名を列挙されても意味を理解しかねた若者がいるやも知れぬ、彼等に20世紀の歴史を知らしめ、21世紀の支配者が誰なのかを教える効果はあったはずだろう。
だが、その因果としての反米テロルと(大人)対(子供)の対立の構図が全く結びつかずに物語の設定は破綻する。本作の原作を未読の私にはこれは致命的だった。七原たちは大人に対して宣戦布告しているのか?アメリカに対してテロを行っているのか?脚本は混乱し、もうひとつの命題である「仲間」というテーマを薄く浅くなぞっていく事で何とか映画の体裁を保とうとした。しかし北野武や三田佳子のパートで寄り道し、混乱は究められる。
どこまでが親爺の作品でどこからが息子の作品なのか?
テーマが混乱した映画は悲惨だ。もっと言えば、後から取ってつけたようなテーマを掲げた映画は失笑モノだ。ただ単に戦争映画を撮りたかっただけなのだと告白してくれたのならばスッキリするのだが・・・
私も学生の頃、自主映画を仲間と作った。だが正直に言えば、本当に作りたかったのは「映画」ではなく、「弾着」と「血糊」を真似してみたかっただけだ。映画少年ならば誰もが夢にみるはずだろう。
この作品もそんな空気が流れている気がしてならない。
親爺の方はそんなシーンはやり尽くしてきたはずだ。日本映画にその分野で足跡を残し開拓してきた男だ。今更という気がする。親爺の方はトンデモナイ駄作を定期的(?)に創ってきたことでも知られている。今回はそれがたまたま巡りまわってきただけだろう。断じて深作欣二の映画人生の集大成であろうはずがない。
そう信じたい。
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