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[コメント] 好きだ、(2005/日)

あおいちゃんが私が高校生の頃にほぼ近いクラシックなブレザーの制服を着ているというだけで見る価値あり。もう少しオールドな世代への配慮かセーラー服のボーナスカット付。キャプチャーしたくなるあおいちゃんの画にはことかかないけど・・・。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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河原の土手に髪をなびかせて制服姿の彼女が佇んでいる。別に最近の女子高生がきらいだというわけではないが、このおしゃれでも何でもない紺色のブレザーには、チェック柄にリボン、ショルダーバッグにミニスカートという女子高生ファッションには出せない風情がある。ことに灰色の空に雨傘との相性の素晴らしさ。紺ブレは土手になじむ。

…とかなり変態コメントになってしまったが、監督が描こうとしたのが、こういう絵であり、そして、それは静止画ではなく、人の所作や、流れる空気もともなったものであり、そしてそういう空気がともなっているだけではだめで、そこに心象もなくてはならない、心象が伴って初めて風景となる、という制作動機がとてもよくわかる。橋げたと土手に挟まれた12、3度くらいの鋭角三角形で切り取られた「土手を歩く2人と鉄塔」の絵なんていうのは、私が何年も追い求めてきた理想の風景だった…。

で、多分監督は、これらの描きたい絵からストーリーやキャラクターをどんどん拡げていって本作を作っていったのだろうと思う。そこからシーンが離れていくに従って、拡げられた分だけ薄まっていくのが惜しい。特にユウの姉というのは、2人の感情の間において重要な人で、しかもかなり特殊な設定まで付加された人物であるはずなのに、まるでこの作品の世界で生きていないような扱われ方だ。もう、2人の感情の間に何らかの障害の役割を果たすという意外になんの意味もないような。いったい、ヨウスケはどういう思いでユウに姉との待ち合わせを頼むのか、姉はどういう思いでヨウスケとユウのことを見ているのか。恋人を失った喪失感で感情がない、といいいたいのかも知れないが、どうも意図してそうなのではなく、単に姉の感情を描くことを放棄しているような感じがする。

この物語が17年後の再会まで含めて演繹的に心情を描くことを目的としたドラマだったら、姉は仮に一瞬の登場であってももっと深い印象を持ったキャラクターとしておとしこまれていったと思う。ところが土手の2人のやりとりを描くことが目的で、そこから帰納的に拡大していったがゆえに登場した姉であったので、その時は「好きだ、」と言えなかった、という物語のキーなのにも関わらず、それの辻褄合わせだけのようになってしまったのだと思う。

「姉」はひとつの例である。

よくわからないけど、マンガの短編の中には、この作品で描こうとしているようなちょっとした感情の移ろいのようなものを鋭くすくいとった作品がたくさんあると思う。で、それらの多くもマンガ家の描きたい絵から出発しているように思うのだ。それでも私が知っているそれらのマンガは、その描きたかった絵だけが全体の中から浮き上がったりしないで、ちゃんとそれ以外のシーンと協調して成り立っている。そしてそれ以外のシーンがその描きたい絵をちゃんと引き立てている。そういうマンガでは、たとえばこの物語でいうところの「姉」の存在感を、たったの一コマだったとしてもきちんと表現し得ていたんじゃないかなあと思う。この作品はそういうところがとても惜しいです。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH[*] 林田乃丞[*]

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