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[コメント] キック・アス(2010/英=米)

「ヒーローをわが手に!」という思いがさんざんいじくりまわしてきたヒーロー物というジャンルを、もっと徹底的にいじくってみたら…
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







なんて素敵な王道もの! 

ロケットブースターでビル街を飛んでいく時にかかるバックの音楽は、堂々とヒーローがヒーローらしくあったころの純粋な凱歌を感じた。70年代の感慨が蘇ってきた。鬱々した冴えない男子の話なっちゃったらうんざりだなあ、なんて思ったけど、こんなヒーローオタクの物語もあるのかと悔しいほど面白い! いろんな角度のヒーロー像をいじくりまわして幾年月、久々に本物のヒーロー像をわが手に取り戻したのではないか、と言えるのでは?

思えばヒーロー物(いわゆるコスチュームヒーロー)に憧れる人々は、ヒーローのいる世界と自分たちのいる世界を同化したいあまり、それらがいかに現実的であるかというテーマを追求してきた。主人公の戦う理念や帰属性でその社会性を、変身や道具の科学的根拠を、戦費調達の事情を、トラウマや煩悶という内面心理へスポットを当て、コスチュームを洗濯させるなど、ヒーロー物を解さない世間に向けてその現実性をたえず説きまくってきた。作り手と観客が一体となって、ヒーロー側を自分たちの世界へ引っ張ってくる物語をさかんに作った。

だが、「誰もヒーローになる方法なんて教えてくれなかった」と、この映画が冒頭で叫んだように、逆に自分たちが本物のコスチュームヒーローになる物語はほとんどなかった。これ「志」とか「心のもちよう」とかいう「戦う一般人」というのとは、断じて一線を画す。なりたいのはそんな抽象的なヒーローではない。

この物語は、鬱々した冴えない男子(ヒーロー夢想家は私も含め大雑把にそんなもんだ)、いかにして鋼鉄の体を手にし(笑)、「敵」と火器兵器で渡り合うコスチュームヒーローになっていくのか、可能な限り現実的な方法でステップしていく過程の描写がとてもよくできている。本作のようなテーマはアイデアとしてはありふれているが、その過程をつめるアイデアがどうしても突き抜けるものが出せず、結局抽象的な話でお茶を濁してきてしまったのだと思う。

特に、「暴行をとめに入る」という実際の行動に移る場面での「連続殺人犯と同じで妄想だけじゃ満足できない」という強引な理屈と、なりたい自分を実践している別人というBD・HG親子の絡めかたというアイデアが秀逸で、これが思いつかないために、「ヒーローになるための物語」を途中で挫折したシナリオライターもたくさんいたのではないだろうか。(BD・HG親子が中年のオヤジとガキ娘なのは、若い男子とセクシーな美女じゃ、そっちに憧れておしまいだ。)

また、ヒーローの自分を手に入れた主人公が、現実の生活を大切にしたいというモードに振り返ったかと思えば、「ぼくはヒーローたちとは違って(それを利用して)彼女とやっちゃうんだ」といわせたり、辛気臭くなる手前でバカ映画のふりもするという巧みなバランスで描いている。

もちろん、基本バカ映画でも戦いの場面はまぎれもなくカッコイイ。ヒットガールのアニメばりのアクション描写、暴漢に刺された直後轢に逃げされたり、ギャングの息子が一見ボンクラそうで実はキレモノという予想の裏切り方もうまい。(でもキックアスが同級生というのには気づかない…という「お約束」もおさえている。)

ようするに「リアルなヒーロー世界」という、ジャンルへの希求が高く、質・量ともに充足し、したがって非常に口ウルサいオタクのツッコミが予見されるテーマをとりあげ、これに耐えうるできになっていると思うのだ。

あまりに戦いが血なまぐさくなってしまった点(特に少女に残虐な行為をさせる点)については、作劇上の重大な瑕疵とも思えるが、ヒーローへの憧れとは、精神的、社会的な戦いに勝利することではなく、はっきり武力で敵をたたきのめす一点にあるということがよくわかるし、そもそもヒーローがヒーローでありえたあの時代、多くのヒーローの行動と存在に、世間の良識は眉をひそめていたのだ。「ヒーローは孤独」とはこれはこれできっと仕方がないことなのだ。

(評価:★5)

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