コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] この世界の(さらにいくつもの)片隅に(2019/日)

この作品について語りたいと思ったことは、今回改めて特にはない。それだけ前作は完璧な作品だったのだと思う。でもこれを観てしまった以上、これから何度も観るのは本作のほう。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







リンさんのエピソードは原作の中盤での核であり、すずさんと周作さん、幼馴染の水原の関係に強い輪郭を与える。つまり女としてのすずさんの感情が前作より強調される。なくてもこの作品の最も得難い部分はなくならないし、むしろなくなることで前作のすずさんは男女の性を超越して共感できる存在になり得たのだったのかも知れない。そういった意味で前作でごっそり割愛する部分としては、切るとしたらここしかないよなという切り方だったと思う。

そもそも2、3時間という長さで人間を描く映画の人間の描き方では、「その人らしくなさ」という部分は、それが主題でなければ描きにくいものだと思う。ベッドシーン(ベッドではないけど)も含め、すずさんにとっての女の性の部分は、端的にいえばすずさんらしくない部分なのだろう。貞節な女性だと思ってた母が春画を隠し持っていて、母の「女」を初めて知ったという人の話を聞いたことがあるけど、それに似たような意外な感情というか。

ちなみに死ぬまでシネマさんが「原作にない夫婦生活」とおっしゃってるのは、このベッドシーンのことだと思うのですが(違っていたらすみません)、私も鑑賞した時はそう思ったのですが、後で原作を見返したらちゃんとあるんです。1ページ以上も使って。これはどういうことなのか、私は「すずさんらしくない部分」として記憶から消去したのかも知れないのだと今思います。

戦時下でありながら日常の生活をおくる人たちを描いて評価された前作。かたや戦時下で激しい恋をする男女を描いた作品はたくさんある。ならばすずさんにも表にはあまり出ないけどそれがある。夫のメモ帳の裏表紙の隅が切り取られた部分で、自分の知らない夫の恋の相手を確信する場面での、すずの「女」の部分を観て、私はすずさんをとても愛おしく感じた。

本作を作ることはある意味「らしくなさ」の追加ではありますが、これに関しては監督は積極的にそれを目指したのだと思う。なぜなら「散漫」こそがこの作品の肝であるから。監督は予算さえあれば前作でカットした場面も最初から作るつもりだったのだろう。前作を見返した時、特に説明もされずに周作さんの手帳の表紙は不自然に隅が切り取られていたのを確認し、原作とおりにしただけだと言われればそれまでだけど、監督の意志を感じられて嬉しかった。

前作のコメントの時に書いたけど、原作で一番好きな「枕崎台風」のエピソードが観られたことが本作の一番の収穫。原爆の1か月後に大被害をもたらした台風に、すずさん一家は「今頃大いばりでほんに迷惑な神風じゃ」と笑い飛ばすシーン。散漫になるから割愛するだろうなと前作を観た時は納得したけど、今回さほど散漫にならずに描かれていて、監督の意志の強さと技術の高さに感服した。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)プロキオン14[*] DSCH ひゅうちゃん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。