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[コメント] 黒い家(1999/日)

過剰な演技が惜しい気もするが、これはこれでフィクションを楽しむということでは良かったようにも思う。顔も知らないような俳優がおおげさな芝居でなくこれをやったらもう、劇場はどんより、観客はげんなり、気分は真っ黒になってたかも。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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保険金目当ての殺人が、保険金を詐取することを目的とした「考えられた」手段というよりも、実は周囲の人間を捕食して生きてきたメスカマキリのような生き物の仕業であった、っていうのがミソでしょうか。それで被保険者でもない主人公に、やりたいからやる、というか生きる必然として、性・食一体となった衝動で襲いかかるのである。「虫のような目つきのオバさんがおっぱいをぶらぶらさせて襲いかかってきたら(ことに男は)怖かろう」というのがこのホラーにおける恐怖のテーマだったのだ(ほんとかね?)。

理性の奥に潜む心の闇の深淵を見てしまうという怖さもあるが、心が空洞というのも、理性を受け付けてくれそうにないことでは負けず劣らず怖い。ただ、そういう人物設定を「この犯人には心がない」ってまんま言葉で説明しちゃっているのは惜しい。そういっちゃえば、ふつうの犯人から、一気に超人間的存在へ飛躍できちゃう。犯人の子供の時の作文を引き合いに出して「こういう文章を書く人は心がありません」って言われても(それが心理学的に本当でも本当でなくても)、なんか無理やり納得させようとしているようで、少し興ざめしてしまう。

説明といえば、「自分が親にやられたことを自分の子供にして何が悪いんだよ」っていう台詞。これは犯人が本心で言っているというより、犯人が自分の存在に対してずっと続けている「ごまかし」であると思うほうが納得いくんだけど、なんか一瞬素に戻ったような表情で大竹しのぶに台詞を言わせているようにも見え、そうなると「怪物が一瞬取り戻した人間の心」という表現だった、としても、額面どおり「出自の謎」の解説という意味合いにもとれてしまう。実際に欲望を満たす途中で「素に戻る」なんてないだろう。あの場面、いきなり主人公の男のくちびるにむしゃぶりつき、おっぱいをなめさせるというシーンは、私は全然違和感なく見ていたし、あの台詞も「いっちゃった目」で言われたほうがすっきりするんだけどなあ。いや、それとて彼女の行動を「意味づけ」しているに過ぎない。もっと意味なく彼女がそうしたっていいはずだ。だって「心がない」って設定なんだから。だからといって、そういった説明がなされず、場内で「何なのこれ?」と失笑が起こったとしても、それはそれでわかる。現実では「意味なく」「理由なく」起こっちゃうものが、フィクションだとそうもいかないんだよね…と、職人監督のつぶやきが聞こえるような気がしないでもない。そんな中では、死体に消火器をふきつける行為っていうのは、無意味っぽくっていい感じなのだが、彼女のイメージが「昆虫」だったら「ああ殺虫剤か」と思えなくもないし。フィクションの表現になれてくると、だんだんそういう無意味さをより多く盛り込むことが「かえってリアルだ」と評価されるようになるのだろうし、また、逆にリアルな恐怖は怖くないものなのかも知れない。どこまでやろうか、どこまでで抑えるかっていうのは作り手側の悩みどころなのでしょうね。

とにかく胸が圧迫されるような得体の知れない不安な味わいを堪能させてくれる演出は素晴らしく、やや芝居っぽい点は否めなくても、人を苛立たせて不穏なものをかきたてる演技はあれはあれで楽しかったし良かったとも思う。黒い家を探る懐中電灯の震えの演出なんか絶品で、あの状況ってあれ以上怖くは描けないんじゃないかって思う。でも最後ボーリングの球が2階(以上)のトイレの窓をつき破ってくる以降の展開は、なんか監督が「もういいや」って、既定のフィクション路線に妥協してしまったような気がして残念。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ぽんしゅう[*]

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