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[コメント] ウィークエンド(1967/仏=伊)

ゴダールの自暴自棄が産んだ意図せざる(?)ケッサク。
crossage

ゴダールにはギャグセンスが全くなくて、本人がギャグのつもりでやっている事はことごとく滑っていて寒いから、見ている人が<脱構築>だとかそのへんの高尚そうな哲学的実践がそこでなされていると誤読をしているだけ、ということを映画秘宝系の人が言っているらしくて、それはまったく至言だと思う。もちろん、誤読を誘発するということは、それだけテクストとして豊かな証左であるわけで、つまりゴダールの才能とギャグセンスのなさは表裏一体、だからこそ凄いのだと言うことだってできるだろう。ただこの映画にかぎって言うなら、どこか一歩突き抜けてしまったような、タガの外れた破天荒な面白さがあるのも事実。

渋滞シーンにおける300mに及ぶ移動撮影や、モーツァルトのピアノに合わせた360度パンの突き抜けたナンセンスぶりは言わずもがな、まるで停滞することが罪悪であるかのように主人公夫婦は終始ドタバタ駆け回り、車はあたかも奪われ破壊され炎上するだけのために存在し、何かあればすぐ拳銃が火を吹く(「夢で遭えたら」に登場する、ダウンタウンの松本人志扮するガララニョロロ巡査を思いだした)。車をぶつけたぶつけないの隣人同士の諍いが、ペンキぶっかけやテニスボール攻撃に発展し、あげくは隣人の旦那が猟銃を持ち出して主人公夫婦に向けていきなりぶっ放す「日常の生活風景」。自動車事故に巻き込まれたブルジョア娘と百姓が罵り合っていたかと思いきや、主人公夫婦の(おそらくゴダール本人を自己投影したと思われる)スノッブぶりを共通の敵と見なしてとつぜん団結し、夫婦を石もて迫害、最後はなぜか娘と百姓は肩寄せ合って記念写真を撮ってしまう「階級闘争」。最高に訳がわからなくてくだらなくて面白いじゃないか。

67年、『中国女』と『ワン・プラス・ワン』とほぼ同時期に撮られた『ウィークエンド』は、ゴダールのいわゆるヌーヴェルヴァーグもの最後の作品と言われている。ブルジョアとしての自身を自己批判し、ヌーヴェルヴァーグの作家主義を否定し、集団のなかの匿名者に埋没することを選んだゴダールが、「政治の季節」まっただなかの68年、『ベトナムから遠く離れて』を経て、ジガ・ヴェルトフ集団の「一員として」撮った『東風』で過激に政治化するに至るフィルモグラフィを振り返ると、この時期のゴダールは、映画を革新しようというヌーヴェルヴァーグの若々しい気負いと野望が、自己批判をともなう過激な(そして今みると全くもって痛々しい)革命志向へとってかわられつつある転換期にあり、『ウィークエンド』の破天荒な面白さは思うにその挫折感からくる自暴自棄ぶりに裏づけられているのではないか。だとすればなんとも皮肉な話である、というか、ゴダールからすれば俺は不実な観客なんだろうな、ということになる。もちろん、映画の愉しみ方としてそれで全然問題はない。作品を歴史的文脈や意味から切り離して好き勝手に読みかえ、新たな相貌を与える。観客もまた作品に参与することができるのだ。迂闊なことを言えない空気を前にどこか二の足を踏んでしまうゴダール映画に対してだって、そういう愉しみ方ができるじゃないかと、俺にとってはそんな妙な希望を与えてくれる映画だ。

[03/10/14] 池袋新文芸坐(『はなればなれに』と二本立て)

(評価:★4)

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