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[コメント] フランケンシュタイン(1931/米)

カール・レムリはあまりにも先駆的な怪物の創造を成し遂げてしまった。ド下手なカットつなぎも、主役のコリン・クライブの一本調子の演技も帳消しにするボリス・カーロフという希代の逸材の登場と、怪奇映画の伝統を綺麗にひっくり返して見せたあのシーン。
ジェリー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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感動の内容をいくらでも言語に置き換えられるシーンがこの映画にはふんだんにある。映画前半の怪物生成の擬似リアルなメカニカル=エレクトリカルなプロセスを、落雷や驟雨などのゴシック風味で荘厳した古典味といい、神の領域への軽率この上ない挑戦にほかならぬ人造人間創造の行為のまがまがしさと来るべき運命とを、バベルの塔に類似した山頂の灯台で実験が繰り広げられるという設定にすることで誰一人気がつかないはずはないくらい分かりやすく暗示させるという演出といい、これは『フランケンシュタインの花嫁』のプロットの中でも再び強調されるのだが主人公フランケンシュタイン男爵の男性原理主義ともいうべき主知主義の陥穽を強調すべく、妻エリザベスを迫り来る危険を巫女的、感性的に把握することに長けた人物に設定することでキャラクターの対照性を際立たせる設定といい、要するに凡そ解釈可能な次元においても語られてしまうことが出来るような作りをしているところがこの怪奇映画の奇妙な装われた新しさなのである。要するに「うまい」と思わせる手がかりは実に豊富な映画なのだ。そこにアンテナが効いた若い観客は多いと思う。

しかし、そこが本当にこの映画の肝だろうか。どうもそうは思えない。それを上回って慄然とするシーンがいくつかある。

たとえば冒頭。極端に望遠レンズで圧縮された埋葬シーンでの牧師や農民たちの方に落ちかかる光の奇妙に白々とした生々しさ。それから、ボリス・カーロフの前につんのめって向かってくる歩き方にも、後にも先にもこんな歩き方をして怪物性を表現した俳優はいないので不思議に興奮した。

しかしその中でもとりわけ、水辺の少女と怪物というシーンこそ素晴らしかった。

セット撮影の合間にどこか撮影所近隣の湖畔でロケ撮影しましたとでもいいたげな投げやりの照明がひどく気にかかる。少女が猫を抱いているシーンを撮っていながら次のカットでは猫がおらず明らかに編集でもどうにもカバーできなかった撮影ミスが実に目立つ。これまでの演出の調子を全く無視したことも含めて、本筋にさしたる影響もない不要のシーンにも思われるのだ。しかしこここそ、この怪物が他の映画が生み出したドラキュラや狼男のような怪物と決定的に異なることを簡潔に伝えきった特筆シーンなのだ。そして我々はここのシーンにのみ白昼の外光がいで湯のように溢れかえっていたことを思い出しておかねばならない。映画史において遂に怪物は夜から解放されたのである。

この名もなき怪物の登場によって、ゴシックの帳の向こうからやってきて伝説や物語から養分を取って生きてきた系譜から怪物は独立した。この怪物は物語の中を生きない。生物以上に怪物的な怪物がこの地球に存在しうるか? まるで花を摘むように少女を殺した怪物の生態を、生きることそのこと事態の怪物性として実にそっけなく描写したこのシーンは、決定的に重要である。そしてこの瞬間から怪物の内側に「内省」のプロセスが始まったのだと私は考える。殺人の直後逃げ惑う怪物。その心中に吹き荒れる恐れや反省こそ、我々が一番怖いと感じるものなのだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)3819695[*] ぱーこ

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