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[コメント] ぼくの国、パパの国(1999/英)

エイジアン・パワー炸裂! といきたかったのだが、お茶の間を欲してしまう。
カフカのすあま

いわゆるインド系(エイジアン・エイシアン)の移民は、60年代ごろイギリスに渡ってきた人が多いそうだ。割と最近なんである。移民の一世、つまりこの映画のパパは、あくまでパキスタン人であり、母国語もパキスタンの言葉、だから英語は第二ヶ国語なのである。日々の会話や「くそっ」などという罵り言葉は英語でおこなっていても、深く物事を考えるとき、必要になるのは母国語。ゆえに、母国語でものごとを考える人間には、おそらくどこまでも母国の文化が色濃く残る。

イギリスの町を歩くと、サリーを着ている女性が多く目につくはずだ。世代的にはこの「パパ」の世代。移民一世の彼・彼女らは出身国の文化を誇りに思っているし、イギリスに住んでいても、心はエイジアンらしさを維持している。

でも、この国で生まれた二世以降の世代は、完全にイギリスに溶け込んでいる。通う学校も普通のイギリス人の学校だし、英語にも訛はなく、聴く音楽はブリット・ポップ。若者はほとんどサリーを着ない。文化的にはすっかりイギリス人なのだ。

ということで、この二世の世代にとって、「ぼくの国」はイギリスでしかありえず、「パパの国」はパキスタンでしかありえない。これは、在日韓国人の二世、三世の方ならよくご存知の、いわゆる、アイデンティティの所在のモンダイだと思う。そして所属観(This is where I belong to という感覚)には言葉が大きな役割を果たす。

そのあたりの行き違いを、イギリス風ユーモアをもった二世たちがブラックに描くのが「エイジアン」の勢い。テレビ番組、音楽、映画 ― エイジアン・パワーには勢いがある。彼らは必要以上に親の「訛」を強調し、彼らの、文化を背負った「おしつけがましさ」を笑う。見合い結婚を笑い、おせっかいな親戚のオヤジを笑う。もちろん、そのユーモアは諸刃のやいばであり、親の世代を笑うことで自分の所在(もしくは所属観)すら笑うことにもなっているのだが…。

テーマ的にはすでに国内でヒットしたコメディ、Goodness Gracious Me で白系のイギリス人にも馴染みが深い。

ただ、すでに指摘があるように、パパの側の言いぶん、みたいなものも採り上げていたら、もう少し深みが増したのではないかと思う。

East is East, i'nit?

(評価:★3)

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