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[コメント] マイマイ新子と千年の魔法(2009/日)

みつばちのささやきを思わせるシーンもいくつかあるので、なおさら普通のリアルな話なのかと思えた。また、松田道雄先生の教えの先にあった思想はこういうことだったのか、と新子ちゃんの台詞に驚いた。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







私は繊細さのかけらもない、ひとの心の動きを読みとるのが実に苦手な人間だが、親の影響で映画だけは子どもの頃から同世代の子より少し多めに見てきた。だからもし映画を見る上で必要な「映画の物語を読みとる力」というようなものがあるとするならば、三つ子の魂なんとやらでそれなりにきっちり身についているだろうと思っていた。

のであるが、この映画を見に行き、その足で友人たちが集う場に赴き、あれやこれやと観たばかりのこの映画の感想を語り合ったにもかかわらず、どうやら私はこの映画の前提となるべきところを全く飲み込めていなかったらしいと、ネット上の種々の感想を読むことで知り、たいへん驚いている。

実は千年の都での話というのは二人の少女がともに抱く空想の中の話、ということらしいのだが、私は「きいこちゃんは最後にとうとう千年の都にも行けた」ということなのかと思って、つまり最初から二つの世界が同時進行で語られているのだと思っていた。

子どもの頃、世界は今よりもっと多元的で不思議な生き物や変な見なれないものがたくさんあった。また、別の世界とでも言うべき「あっち」のことも友人同士のあいだでは自明のものであって、ただ、残念なのは実際にそこへ行くことが最後まで私にはできなかった。霧がとても深かった日に見つけた霧カーテンがたぶん確実にあっちへ行けるポイントだったのだが、何度挑戦してもどうしても行くことができず、おかしいねえ、私たちにはわからない魔法の呪文か何かがあるのかもねと、ゆりちゃん、みなちゃんと悲しくなったことを、私は今でもしつこく覚えている。

ということで、少女たちが空想を共有するシーンというのはあえて言うなら「家が船みたいだ」と話すところくらいで、それ以外は現実的なシーンばかりだと思っていた。むしろ、今更のように、もう今では完全に交流がとぎれているゆりちゃんやみなちゃんは、実は霧カーテン以外の場所からあの後あっちへ行くことにも成功していたのかもなと(私たちは家が近かったので三人組ではあったが私はとりわけチビだったし性格も悪いのでよく仲間はずれにもされていた)猜疑心まるだしで悔しくさえなっている。

私は最初、この映画を手放しで絶賛できないのはその映画的完成度の高さゆえ、わかりやすいつっこみどころがない出来のよさゆえかと思っていたが、もっと根本的なことに理由があったのかもしれない。すなわち、この映画の鍵の一つであるらしい空想の力が、私にはあまりなかったため醍醐味を得られなかったということなのかもしれない。話そのものを、わかっていなかったからかもしれない。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] uyo[*]

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