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[コメント] サイボーグでも大丈夫(2006/韓国)

執拗に復讐を描き続けてきたパク監督による、復讐できない女の話である。復讐できないとは、すなわち自らの意思の力で他者を攻撃できないということだ。だからこそ彼女は「電気」という外部からの力に頼るのだ。しかし、そこに精神の病などという言い訳は不要だ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







大切なお祖母ちゃんを奪い去ったホワイトマンたちに対して、良心の残滓のため復讐が実行できず苦しむヨングン(イム・スジョン)は、その呵責に苛まれ自ら命を絶とうと感電自殺を試みたり、充電に名を借りた拒食によって自死に向かおうとする。自分を孤立させた者どもに恨みを募らせその集団の殲滅を夢想しつつ、一方で自分自身に存在価値を見い出せず、そのくせ自殺という道すら自ら選択しきれない漠然とした消滅願望。

それは、2000年、牛刀で三人を殺傷した西鉄バスジャック事件の少年あたりから始まり、今年(08年)の3月のJR土浦駅での八人殺傷事件、そして6月の秋葉原十七人連続殺傷事件の若者たちの姿とどこか重なる。現代の韓国の若者たちが同じ状況にあるのかどうかは知らない。しかし、日本以上の受験競争や、近年の若年層の就職難など聞こえてくる話題から察するに、韓国の若者たちの心を支配する気分もまた決して明るくはないだろうことは想像できる。すなわち、この映画の主人公は極めて今日的な状況を生きているのだ。

ヨングン(イム・スジョン)が統合失調症(本当は分からないが医者はそう考えているようだ)という、心の病を患っているという設定は不要であった。精神障害者に対して差別的だという意味ではない。彼女が正常か異常かなど本来はどうでもよいことであり、彼女がかかえる不安が、現代なら誰しもが感じている居心地の悪さの延長線上に存在している問題だということが大切なのだ。まるでヨングンの華麗な乱射シーンを正当化するために準備されでもしたかのような、精神障害などという余分な要素を持ち込んだがために、肝心の「現代」を捉える視点がぼやけてしまっている。

ヨングンと、これまた自力ではなく他力の象徴である電動歯ブラシを、母に持ち去られたことに端を発した悩みをかかえるイルスン(チョン・ジフン)の丘の上の一夜。雷雨のなか天高くアンテナをつき伸ばし、落雷(また電気だ)を待つ二人。これは心中だ。彼女と彼は、秋葉原の男のように世間に復讐するのではなく自ら消滅することを選んだのだ。そして、二人は幸か不幸か生きにくい世界にまた生き残ってしまった。いや、秋葉原の男も世間と無理心中をはかり、ひとり生き残ってしまったのかもしれない。この映画は、私にはそんな生きにくさと悲しみの物語に見えた。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH りかちゅ[*]

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