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[コメント] クローバーフィールド HAKAISHA(2008/米)

今の私たちにとって最もリアルに見える手法で、非日常をさも現実のように見せきってしまったという点で、あまりに安易で志の低い暴挙ともいえるが、現代社会の底に渦巻く不意打ちの破壊行為とその恐怖を、日常的な皮膚感に直結させてしまった点は快挙でもある。
ぽんしゅう

混同しやすいが「リアルな映画」と「リアルな映像」は違う。「リアルな映画」とは、描かれるモチーフや物語が現実的であり、あるいは現実に起こりうるかもしれないと感じる映画のことだ。極論をいううと、ファンタジー映画以外は全て「リアルな映画」に成り得る可能性を秘めているといえる。たとえば、1902年(何と100年以上前だ)に作られた映画『月世界旅行』(ジョルジュ・メリエス)ですら、今となっては、そのテーマは現実のものとなっている。一方、「リアルな映像」とは、モチーフや物語がたとえ非現実的なものであったとしても、さも現実に起こっているかのように感じる「画づら」ということだろう。

本来、リアルな映像とは目の前で起こっている事実を、同時進行で自分自身の目で確認したときに得られる光景のことだ。リアルだと感じる映像が、ごく限られた個人の体験を通じてしか得られなかった時代の映画は、被写体の本物らしさだけを担保していれば、観客は目の前に映し出される出来事に現実らしさを感じることが出来た。戦場は戦場らしく、怪物は怪物らしく、宇宙船は宇宙船らしくさえあれば映画が成立した製作者にとっても観客にとっても幸せな時代だ。

衛星中継が行われ始めた60年代頃だと思うのだが、ある「現実の光景」を得る手段として私たちは報道映像を頻繁に目にするようになる。もちろん、それ以前も報道映像はあった。しかし、中継がもたらす距離と時間の短縮はすさまじく、送られてくる量も飛躍的に拡大した。さらに、媒体がフィルムからビデオに代わるにつれ、おそらく80年代あたりだと思うのだが、その画づらも大きく変化した。例えば、9.11のビル街を吹き抜ける噴煙や、戦闘ゲームのようなイラクの空爆映像、ビルの窓辺から密かに撮られたようなミャンマーやチベット暴動の映像など、その例は数限りない。

私たちがリアルだと感じる画づらは、しっかりと三脚に固定され被写体を見つめる映像から、撮影者の息づかいが込められた「何か」が写っているかもしれない映像へと変化したのだ。さらに、ホームビデオの普及で、リアルな映像とは、対象を求めてゆらゆらと揺れながら、延々と撮り続けられる映像だということを誰しもが身をもって体験してしまった。こんな観客を相手に、本来、現実ではないことをいかに現実のように見せるかを課題とする映画製作者たちは、ある一線を前にしてたじろいでいたに違いない。

彼らにとって報道映像を模倣することはたやすいことだろう。報道映像的リアルさを, 限定的ではあるが取り込んだ作品など無数にある。しかし、全編をこの手法で撮りきるということは、今までの映画の手法を放棄して、映画が映画でなくなるという漠然とした不安をいだいていたであろうことも想像に難くない。理由はどうあれ、この「クローバーフィールド」という作品は、その一線を踏み越えた。この手法を用いた作品の流れが、今後も生まれるようなことが起これば、本作は映画史上のエポックとして記憶されるであろう。

何故なら、そこにどんな破壊者が映し出されようが、されまいが、現在、私たちが最も「リアルな映像」だと感じる手法で、今の社会が抱え込んだ不意打ちの暴力と破壊への恐怖を映画化することで、理屈ではなく日常の皮膚感覚としてその恐怖を実感させることに成功していたからだ。そこには確かに「リアルな映画」が成立していた。この作品を足がかりに、さらに洗練された「リアルな映画」が誕生することを期待する。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)DSCH ぐ〜たらだんな[*] Orpheus ロボトミー[*] TM[*] 甘崎庵[*] おーい粗茶[*]

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