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[コメント] ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実(1974/米)

映画史上初めて、「加害」側と「被害」側が同じ高さのカメラ視線で捕らえられ、つまりは「人」と「人」は対等であるべきだという立場に立って、戦争の内実と意味が検証された映画だろう。こんな良作をものしながらも以降、同じ過ちを繰り返す人間の愚かさが虚しい。
ぽんしゅう

証言、すなわち「したことと、されたこと」のドキュメンタリーである。

ベトナム戦争を遂行したアメリカ政府高官や政治家、さらに軍幹部たちは、呆れるほどの無防備さで戦いの意義を本音として口にする。さらに、前線から戻った虚ろな目の兵士たちもまた、殺傷マシーンと化した実体験を呆れるほど無反省に、まるで己の罪から目をそらすようにおどけながら語る。名誉ある帰還を果した元捕虜兵は、自らを正当化するかのごとく義務と勇気の美辞を振りかざし洗脳活動に走り、彼とは対極に位置する脱走兵たちは非難と賛辞にさらされた法廷で自らの信念を語る。

一方、これまた呆れるほどの無意志、無策ぶりで自己保身に走る南ベトナムの傀儡政府要人と軍人たちの言葉は虚しく拡散し、成金資本家たちは「人と国のカタチ」を見失い己の手の内の金のことしか語れない。家を焼かれ、子供や親を殺されたベトナムの民は、カメラを睨みつけ唸るように怒りをあらわにし、レンズの向うの「アメリカ」に悪態をつき、そして大切なものとともに言葉を失くした人々は、ただひたすら泣き叫ぶ。政治犯として捕らえられ、やせ細り骨と皮だけになった反政府活動家たちの声は、もはや声になどなっていない。

この交わることのない証言は、すべてベトナム戦争に係わった、あるいは引きずり込まれた「人」が発した本音だ。ピーター・デイヴィスらは、この関係者たちの証言群を、カメラと被写体の距離を慎重かつ冷静に測りながら集め、そして、すべての「したことと、されたこと」が等距離になるように注意深く再配置している。

彼らの真摯な作業により、ここで語られた「言葉」が、それを語った当人たちにとっての信念であり、悩ましいことにこの矛盾する数々の「言葉」の価値は、世界を構成する要素として実は等しいもだということが見えてくる。このベトナム戦争をめぐるドキュメンタリー映画は、戦争を望む者にとっても、また平和を祈る者にとっても、まぎれもない「戦争」の本質を提示している。それは正に、人間が存在することの悲しさである、とも言いかえられる。

(評価:★5)

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