コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] わたしの叔父さん(2019/デンマーク)

冒頭から姪と叔父が営む酪農家の一日のルーティンが淡々と描かれる。姪がリードし足の不自由な叔父は黙々と従う。ほとんど会話はない。まるで、ぶっきらぼうな儀式のようだ。二人はよそよそしく冷ややかにすら見える。きっと関係は良好ではないのだろう、と思った。
ぽんしゅう

やがて、気のよさそうな獣医が二人の間の沈黙を埋めるように物語をリードし始める。寡黙な姪は、不幸な出来事の連鎖で家族を亡くし、身を寄せた叔父のもとで、さらに不運によって夢を断念しとことが分かってくる。どうやら彼女は精神のリハビリ中のようだ。

姪の複雑な境遇と心情は、叔父と獣医の繊細な“優しさ”によって支えられ、ようやくバランスが保たれているようだ。さらに、彼女もまた不器用な“優しさ”で、叔父や獣医の気づかいに応えようとしているし、自分の幸福を諦めきっている分けではないようだ。

彼女が、世を捨てたように農作業(という日常)に没頭するのは、彼女が窮地に陥ったときの唯一の支えが叔父だったからだろうか。さらに、叔父の足が不自由になった遠因が自分にもあると思っているからだろうか。自分が夢を諦めざるを得なっかたことを、叔父が心の負担に感じないようにするためだろうか。その理由は、おぼろげで定かではない。

二人の心情は、明確に示される(描写される)分けではない。フラレ・ピーダセン監督は、丁寧に、ときに滑稽に、ときに激情的に、心情描写を積み重ねながら私たち(観客)に、二人の心の有りようを断定ではなく、察するようにリードしていく。察することこそが“優しさ”なのだからと。繊細な映画だ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] jollyjoker[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。