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[コメント] 宣戦布告(2002/日)

原作の主命題であるトップの「平和ボケ」を上手に抽出してみせてくれた。だけど本当は・・・
sawa:38

原作は公安警察の対スパイ戦にも主軸が置かれ、まさに「お腹いっぱい」の状態で、これをすべて映画に盛り込むのは不可能だったろう。

ただし、原作に書かれながら、本作に描かれなかった大事なものがある。

住民不在である。つまり我々のことだ。大騒ぎになる前の状態で、避難を拒んだり、興味本位で楽しもうとする一般人、別次元の事件と無関心を装う者。

そりゃそうだろう。我々は「普通」の毎日を送っている訳で、隣の人間が被害にでも遭わなければ率先して「負担」を被りたくない。自己本位だろうと平和ボケだろうと、通常はそんなものだろう。

この映画では政府トップの「平和ボケ」に警鐘を鳴らしている。しかし、「平和ボケ」は何も政府だけではない。我々一般人の認識をも皮肉って欲しかった。

オウムや北のミサイル発射や拉致事件の度に世論は「一時的」に先鋭化する。警察・自衛隊の甘さを指摘し、そして熱が収まるとまた以前のようにこれらの機関の突出を抑えにかかる。世論はその場の感情によって簡単に大きくブレる。

戦後の自民党政権が「平和ボケ」しているのを否定しようとは思わない。だが、良くも悪くも「ある信念」を持って「平和ボケ」を演出してきた側面があるだろう。

問題は我々だ。この映画を単なる娯楽作品として楽しむか、自国の政府に対する強烈な皮肉として考えるか。否やはり問題は我々だ。自分の問題としてどれだけ捉えられるかだと思う。

蛇足だが、この地を舞台にした「怪獣映画」がある。『大怪獣東京に現る』では偶然にもこの問題と同じ命題をテーマとしている。こちらはあくまでも住民の「平和ボケ」を扱っているので、是非ともセットで鑑賞していただければと願います。

(評価:★4)

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