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[コメント] ローレライ(2005/日)

様々なシミュレーション戦記が問いかける「あるべきではない終戦後の形」が原作ではしっかりと語られている。映画化のために福井氏が書き下ろした小説「終戦のローレライ」の方がビジュアル度がある。これが邦画の限界とは情けないのです。
アルシュ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







小説では潜水艦内の暑さ、湿気、臭いの描写が常にあり、生活環境としての過酷さが嫌と言うほど伝わってくる。これらを筆頭とする生活描写があるため、はるかに映画よりビジュアル感があるのです。

パウラの能力がマンガっぽいという意見が多いけれど、小説を読むとその能力の発現過程がそれなりに肯けます。

ナチスドイツが計画した人種改良計画、遺伝学治療によってスラブ種、ウェストファリア種、バルチック種と言ったヨーロッパの人種だけでなく、モンゴル種、アフリカの黒人種でさえもアーリア種に作り替えるといったもの。あらゆる人種の子供が集められて人種改良実験が行われる。パウラと兄のフリッツ(映画ではドイツの施設内で死亡する少年)はこの研究施設に捉えられる。祖母が日本人故に、この兄妹は受け継いだ血の1/4の影響で容貌が東洋系に近いがゆえに。 同じ施設の子供達は様々な薬物投与によって、その殆どが廃人同様になったり死んでいく。パウラは与えられた薬を飲んだ振りをして、その一部を捨てていく。こういったパウラの飲んだクスリの組み合わせが彼女に本来人間という動物に隠されていた能力が発現する。水に触れるだけで遠方までの水中にあるモノの形・配置といった対物感知、人の感情が解る精神感知といった「ヘルゼリッシュ・ベガーブング=千里眼的能力」がその能力だ。

ちなみにこのローレライシステム(正確にはドイツではPsMB1と呼ばれる)は量産がきかなかった。パウラがどのクスリを飲んだか捨てたのかは覚えていないし、ましてやこの計画に携わる研究者達にはクスリを捨てた事さえ伝えてなかったからだ。

そもそもこの感知野は人間が進化の過程で失った能力のひとつではないか? 動物は帰巣本能とか地震の予知能力とかがある。人間は精子と卵子が結びついてまずサカナの形になる。やがて4本足の動物から人間への形態をたどって誕生する。これは進化の過程を胎内でたどっているわけで、もともと水中に棲んでいた頃の能力が閉ざされているだけであり、それが薬物投与が引き金となって呼び覚まされたわけである。

何だか、『スターウォーズ』の理力(フォース)とか、『幻魔大戦』での「超能力」とか、『機動戦士ガンダム』における「ニュータイプ」とか、『エヴァンゲリオン』の「ファースト・チルドレン」とか、『トップをねらえ2!』の「エキゾチック・マニューバ」みたいに、この「ローレライシステム」ってのは一見マンガチックな能力だけど、小説を読むと「人間の潜在能力」という点では一番納得が出来ます。

この映画『ローレライ』ってヤツは、原作本のほんの一部分を切り取ったに過ぎず、2時間枠では到底単行本4冊分の面白さを伝えるには無理がある。ゆえに一番のハイライトであるテニアン島における米艦隊との決戦を中心に物語を展開させたのには正解かもしれない。昨今流行のシミューレーション戦記である「沈黙の艦隊」「ジパング」「紺碧の艦隊」などは、太平洋戦争敗戦とか自衛隊の在り方など、日本人としての欲求不満やプライドを日本人達の活躍で小気味良く満たしてくれる。特に本作ではテニアン島で米の大艦隊を限られた戦力(たった一杯の潜水艦とその限られた魚雷)で手玉に取り原爆を搭載したB29を葬った後、すました顔で海面に佇む伊507。米空母艦長はまんまと出し抜かれた事に失笑し、空母の航海長や水兵たちも落下していくB29を茫然と見つめるだけ・・・この描写は全4巻を読破した甲斐があったと思わせるほどだ。

映画版では、ハッキリとは語られていないが、記者が絹見からパウラが譲り受けた時計をしているところから、パウラと征人の子供とも思えます。小説ではローレライや折笠征人とパウラのその後がしっかりと描かれている。この一生モノの原作をご一読頂くのが一番良いと思いますが、それが躊躇われる人のために原作ネタバレをこの下欄の★マークで囲われた部分に書き込みますので、ネタバレが困る方はその部分を目にしないで下さい。

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テニアン島沖で原爆を搭載したB29を葬った伊507は米艦隊包囲網の中、マリアナ海溝に進路を取る。米国側の総司令官は、ローレライ・システムの獲得を諦めて各艦船に伊507撃沈の指示を出す。伊507は既に満身創痍の状態で、魚雷は底をつき、潜舵もきかず潜航が出来ない状態。結局、米艦隊の砲撃や艦載機の爆雷攻撃で、絹見艦長や生き残っていた乗員は全員マリアナ海溝に沈む。

一方で絹見艦長の命令で伊507から離脱していたミゼットサブ・ナーバルには、折笠征人とパウラがおり一路日本を目指す。彼らが辿り着いたのは宮崎の南那珂郡の松森岬で、ナーバルのローレライ関連の機器はすべて処分し、本体を海蝕洞に隠す(結局は進駐軍にナーバルを引き揚げられるが)。

二人は汽車を乗り継ぎ、湘南の征人の自宅に寄るが、生きて帰ってきたという周囲の冷たい目に翌朝出立、戦後間もない東京に向かう。友人清永の父母に戦死報告をし、清永の父の計らいで焼け跡の敷地に小屋を建てさせて貰い住まう。やがて征人は大手時計メーカーに就職し、経済的にも自立できる7年後にようやく征人はパウラ(日本に着いた時点でミドルネームの温子に変更)に結婚を申し込む。

子供は弥生と健人の二児をもうけ、ごく平凡な日本人として時を過ごし、やがて還暦をむかえた征人が先に逝く。老いたパウラは息子・孫らとともに思い出の地宮崎の松森岬に向かい浜辺で佇んでジ・エンド。

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良くできた原作ながら、惜しむらくは後日談を語りすぎているのが難で、この傾向は『亡国のイージス』の原作でも垣間見られる。腰痛の老いたパウラなんて幻滅してしまう。

だがこれはこれでパウラと征人が語り部となり戦後の昭和と平成がトレースされていく。高度経済成長期からバブル崩壊までを視座し、浅倉大佐の予言した「あるべきではない終戦後の形」を表している。しかし、今の平成日本の姿を否定するわけではなく、日本の平和憲法がそれなりに平和維持に役立っているのであり、今後世界が叡知を持って争いを避けていく為のヒントになればと、太平洋戦争を含む第二次世界大戦を振り返った反戦の作品だという事が見えてくる。

それが証拠に、沈めた艦の乗組員の死を迎える時点の悲鳴・苦痛・慟哭等をパウラが感知してしまい、パウラは数時間から数日間失神してしまう。これが理由でローレライは本来複数敵とは戦えないシステムなのだが、伊507の艦長以下があの手この手で「敵を殺さず」に難局を乗り切るという工夫がそれに通じるからだ。

原作未読の方、是非読んで下さい。

(評価:★3)

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