[コメント] 天草四郎時貞(1962/日)
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キリシタン反乱いわゆる“島原の乱”に題材を取った天草四郎の伝記物語。こういった、領民のために立ち上がる領主や武士を描いた作品は日本では結構好まれる傾向にあり、数多くの監督が似たような素材を使って映画作りをしているが、大島渚が作った本作は、それらのどれとも一線を画す作品に仕上がっている。
そもそもそういう作品が好まれるのは「判官贔屓」の言葉もあるように、日本人は昔から義に篤く強い人物を好む傾向があり、少数精鋭部隊が大軍を相手に一歩も引かず、やがて刃折れ矢尽きて死んでいくような人物を“英雄”と称えていたから…フォーマットは完全に『忠臣蔵』であり、最後に勝利を収めるという一点を除けばロボットアニメは大概そのフォーマットに則ってる。そういった作品を大衆が望むから作るという構図だった。
だが大島監督はそのようなことを考えて作ったようには思えない。と言うより、本作は完全にその当時の日本の状況とくっついて作られたのだから。2年前『日本の夜と霧』で日米安保締結阻止が出来なかった左翼運動の失敗を総括した監督が、その痛みをそのまま天草四郎という人物に託した作品であると見て取れるだろう。
現実的な活動で言えば天草四郎というのはカリスマ性はあるが、運動家の中でも現実主義者で、以降の活動のあり方と、国家権力との和解を模索している人物なのだが、そういう人間は本来最も重要な人物でありながら、活動家の中では疎んじられがち。劇中でも現実に苦しむ農民を前に手をこまねいている四郎は、徐々に追い詰められていく。もうにっちもさっちもいかず、最終的に全ての対話を捨ててテロに走らざるを得ない人物のように描かれているのが大きな特徴だろう。
だから本作は決して痛快でもなければ、天草四郎という人物を英雄視もしてない。四郎自身が韜晦しまくりで、「本当にこれで良かったのか」といつも自分自身に問い続けている(この作品で面白い描写は、背景を完全に黒く塗りつぶし、登場人物の挑戦的なメッセージを聞かせるなんてところにもあった。明らかに大島監督が天草四郎の言葉を通じて視聴者に語りかけているのが分かるよ)。
時代の流れはそういう人物を追い込み、未来を捨てさせ、そして犬死にさせる。まさしく激動の60年代の闘士の姿がそこにある。安保闘争の失敗を下敷きにしているだけに、それだけに本作は苦い味わいを残す。
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