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[コメント] クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001/日)

20世紀博は日帰りでも勘弁。
coma

藤子不二雄キャラで作り直せ!ていう意見に全面的に賛成。でも、どうも藤子漫画には大人役が同世代的で子供役がコドモとして居る、というのが無いね。敢えて探せば「劇画オバQ」かなーと思ったが、あれは大人になった正ちゃんの所へQちゃんが帰っていって、また昔のように一緒に遊んだりしようとするんだけど、正ちゃんも周りのみんなも皆大人になってしまっていて、皆Qちゃんを懐かしがりはするんだけど、もうそこにQちゃんの居場所は無いのでした…。ていう話で、視点が逆だな。(でも個人的は劇画オバQのような置いてかれた感の方がツボに来る。藤子不二雄ってそんな感じの人だよな。でもわかるよ…その感じ。)

というわけで「劇画ドラえもん」で作り直せ!と言いたい。(そんなものはないが) 大人になったのびたなら、大人になっても所詮のびただからノスタルジーにひたっていたい心情をリアリティを持って演じきれる気がする。 しかし、ひろしの回想シーンをのびたに読み替えて思い返すと感動が五割増なのはなぜだろう。

映画について。

時代を限定してしまったことが、この映画の普遍性を弱めてしまっていると思った。 (万博世代でもないし、子供も居ないし、さして現代がひどい物だとも、昔がすばらしかったとも思ってない自分には、この映画のノスタルジー描写はいまいちピンと来るものが無かった。) ちょうど今40歳前後の扶養家族持ちに一番「来る」のはわかる気もするが、例えば自分がそういう位置に来た時に、もう一度この映画を見てノスタルジーに駆られるかと言うと疑問だ。やはりあの時代に青春を過ごした人にしか伝わらないノスタルジーだけを描いてる、という気がする。

結局ノスタルジー描写がキーワード的なんだと思う。そのキーワードに反応する人には記憶を刺激して、ノスタルジーを感じさせることが出来るけど、そのキーワードに反応しない人には一般論的な「ノスタルジー」しか醸成しえてないって感じ。 「におい」がノスタルジーを駆動する鍵として出てくるけど、 その「におい」が終始抽象的だったのも気になった。 ノスタルジーのトリガってもっと個人的で具体的な感触だと思う。そういう描写を積み重ねることが普遍的な共感を生むのだ、と思ってるんだけど、この映画にはそういう描写はなかった。現実に帰る足の臭いだけが具体的でもな…。

あと、ノスタルジーにひたることと童心に帰ることは全然違う。その辺りを意図的にか無自覚にかごっちゃにしてるのが気になった。

(評価:★3)

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