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[コメント] アドルフの画集(2002/カナダ=独=ハンガリー=英)

俺にはこの作品の目指す物が良く分からない。画商MAXを主人公に据え、一体何を描こうとしたのか・・・。時代の分かれ道の大いなる皮肉?安易な悲劇をラストに持ってきた地点で、この作品の良し悪しが決まった気がする。 2004年6月18日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
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と、ネタバレ気味のコメントを書いてみたのは、予告編を見ればオチが安易に予想出来てしまう上に、何とも無責任に物語を語る事を放棄したあのラストには唖然とした。

確かに、このプロットに於けるラストとしては、あの幕切れが妥当だったかもしれない。だが、あんな安易なラストでアドルフ・ヒトラーのその後を示唆して終わる、と言うのは果たして良いのだろうか?アドルフ・ヒトラーはあくまで、歴史が産んだ皮肉、とでも言いたいのか?そーですか、そーですか。

画商MAXが主人公故に、ヒトラーを徹底的に掘り下げはしない。だが、MAXと言う人物はあくまで架空の人物。俺個人は、この架空の人物を掘り下げながら物語を進めていく事に疑問を感じる。

当時の混沌の中のユダヤ人、と言う点から描くと言う意味は分かるが、結果的にMAXを主役に据えた事で何か斬新な視点が生まれたとも思えない。何を描きたかったのかさっぱり読み取れない。俺がバカなだけですか。そうですか。そうですか。そうですね。ごめんなさい。でも、正直言って、監督はあのラストシーン、「歴史の分かれ道」を描きたかっただけだと思うのです。だったら、ヒトラーを主役に据えて徹底的に描いても良かったのではないだろうか、と思うのだが・・・

この作品で描かれるヒトラー像も、少し調べれら得られる知識程度の物であり、大体が俺の知識の範疇でしかなく、目新しさを感じなかった。でも、ヒトラーが英語ぺらぺらだった、と言うのは新発見ですが(冗談)

ヒトラーを掘り下げてドラマを作る事がタブー視されていようと、やってみる事に価値はあると思う。

結局、この作品が中途半端なのは、(俺だけかもしれないけど)観客の興味とは違う人物、MAXを主人公に設定し、観客が見たかったヒトラーの物語を軽薄に扱った事が最大の要因と思う。

この作品でヒトラーはMAXに「(絵から)肉声を感じない」と批判されます。俺からしてみれば、この映画から監督の肉声を感じない、と言ってやりたい。

ヒトラーの描き方だけではなく、ラストの演説にしてもそう。役者が達者なので、どうにか迫力を出しているが、結局、演説内容そのものに迫力が無く、見ている側の俺は、どうしてその程度で聴衆が熱狂しているのか理解不可能なのである。っていうか、あんな中途半端な演説で大衆扇動できる、ってドイツ国民がそーとーのアホか、それとも聴衆の8割ぐらいがサクラだったとしか思えないのだけど・・・

あっ、でも「ドイツ最大の敵はドイツ国内に居る」という超有名な一節だけは際立って迫力があった。

どうして危険を承知でヒトラーを徹底的に掘り下げて描かないのか。大胆に脚色し、”画家”ヒトラーが如何に”政治屋”ヒトラーに変わったか、”親ユダヤ”ヒトラーが如何に”反ユダヤ”になったか、等々を大胆な視点から描く事こそ、求められていると俺は思うのだが。例え、それが危険であっても、観客はソレを求めて居ると思う。

危険な独裁者である以前のヒトラー、と言う視点は評価するが、それを回り道してストレートに描かなかった事に非常に腹が立つ。あの中途半端で陳腐なラストシーン以上に。コレだけ面白い題材を得たのに宝の持ち腐れではないか。

(評価:★2)

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