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[コメント] ノートルダムの鐘(1996/米)

作品の楽しみ方を間違っているとは思うが、最高裁判事フロローというキャラが魅力的だった。
NAMIhichi

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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判事というより怪しい魔法使いのような格好。この上なく個性的な髪型。化粧しているのかと思わせるケバい顔。笑った時に「イヒッ」と聞こえてきそうな表情。こんな人物が欲望のままに動き、歌まで歌ってしまうのだから、これはもう私としては好きにならずにいられない。乗ってる馬まで悪人ヅラなのが分かりやすくていい(これに対して、フィーバス隊長のお座り馬は優等生の顔なのが笑える)。

最初、私は、フロローがカジモドを引き取って養っているのは、その行為を彼の負の部分を肯定する拠り所としているのだと解釈していた。一つ良い行いをしているということが、彼の心を安定させ、罪悪感など持たずに思いっきり悪事にふけることができるのだと。でも、最後になって、カジモドという一人の人間を閉じ込め、運命を握るという行為が、彼の犯した最大の悪事だったと分かった。目に見える暴力や虐待ではなく、他人の時間を奪っていたぶる行為。まったくワルいヤツだ。

フロローは、恐らく子供に分かりやすく作られているのだろうが、とことんワルで、執念深い。ただ、面白いと思ったのは、悪を象徴する権力者にとどまらず、エスメラルダを所有したいという欲望の虜になるところだ。公衆の面前で彼女に痛い思いをさせられたのに、彼女に強く惹かれる(もしかしてマゾなのか?)火あぶりの時まで、彼女に執着する、粘着質で変質者っぽい彼が、他のキャラより魅力的で、とても面白かった。

あと、驚いたのは、前半のお祭りで、カジモドがさらしものになるシーン。はっきり言って観ていて辛い場面だった。見るに耐えないということは、それだけリアルに近いということであって、歴史上、公開処刑が人々の楽しみだった時代があったように、「民衆」とか「大衆」は集団の力をかりて、ああいうことを平気でする。ディズニー映画は、いつも予告編だけでお腹いっぱいになってしまうのであまり観たことがない。その為、こういう場面をオブラートに包んだりしないでやっていることが、自分のディズニー作品に対するイメージと外れて、意外だった。恐らく、大人は、自分の中に形成されたモラルから不快な場面と判断して、見苦しいと感じるだろう。子供はこの場面を(しかもアニメーションで)観て、どう感じるのだろう。想像がつかないが、映像が綺麗で、楽しくて面白いものばかりを目にしていては養われない感情もあるのだろう。

最後の、カジモドが外の世界に出てきて、人々に受けいれられてハッピーエンドになるシーンは、本来ならその都合のよさに興ざめするところだが、大衆の心理ってそんなもんだな、と納得した。いつの時代も、「民衆」とか「大衆」は都合のいい道具として使われるようだ。

難点は、個人的にミュージカルが苦手で、歌が始まると意識が飛んでしまい、気づくと絶唱が終わっていて、何を言っていたかまるで覚えていないことが多かったこと(吹き替え版)。ミュージカルに対する苦手意識を早く何とかしないかぎり、こればっかりはどうしようもない・・・。

(評価:★3)

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