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[コメント] 映画 ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い(2007/日)

センス・オブ・ワンダーを失ったメロドラマ
ペンクロフ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







考えてみれば大長編ドラえもんの中でも『のび太の恐竜』だけはやはり圧倒的に特別で、あれだけは「シリーズの中の1本」という感じがまるでしない。それは『のび太の恐竜』だけがのび太自身の冒険と成長を真っ向から描いているからで、シリーズ化に伴って異世界における「助っ人外人」的なポジションに落ち着いていった以後の作品群とは分けて考える必要があろう。

そしてそれ故に、旧『のび太の恐竜』がかなり真面目に再映画化されたことは良かったと思うのだ。『のび太の恐竜2006』はかなり感傷的な、「泣かせ」過多の映画ではあったが、それとても原作がもともと持っていた精神の再発見として、オレは極めて好意的に受け入れることができたのだ。

一方、旧『魔界大冒険』におけるのび太やドラえもんの立ち位置は、他のシリーズ作と同じく「異世界における助っ人外人」である。そのうえで、最高に面白かった作品なのだ。

うろ覚えだが、旧作でのび太に「なんで魔法がないの?」とムチャな相談を持ちかけられた出来杉の解説が素晴らしかった。そもそも魔法と科学は同じようなものだったのだが、錬金術を起点にして科学だけが発達し、人類は魔法発達の可能性を失ってしまった、という具合に魔法と科学を軸にした人類史を鮮やかに紐解いてみせ、さすが出来杉くんは頭がいい、モノが違う! と感心するばかりであった。魔法の概念が出来杉によって解説されたのち、もしもボックスによって魔法の世界が本当に実現され、映画はその異世界の面白さを丹念に描いてゆく。

こういった手順を丁寧に踏み、実に判りやすく物語っていくのが藤子・F・不二雄の真骨頂で、だからこそ観客は時間SFならではの石像の仕掛けに驚き、多元宇宙の概念に対するのび太の決断に感動することができたのである。

今作『映画 ドラえもん のび太の新魔界大冒険 7人の魔法使い』のアプローチは全然違っていた。この映画は『恐竜』以後の大長編シリーズものの肝である「異世界の面白さ」を描くことにはあまり熱心ではなく、代わりに友情や勇気などの感情を謳うことにはたいへん威勢がいい。またそれはよく出来てもいるのだが、このアプローチが有効なのは『のび太の恐竜』の場合だけだと思うのだ。

出来杉の解説をカットして、メドゥーサが美夜子の母親だったというエピソードを入れたことに、この映画の「泣かせ」を優先させる姿勢は明白に見てとれる。しかしなんだか消化不良で、あんまりうまくいってないように思えた。

メドゥーサの他にも問題は多かった。特に不満なのが、現実世界における満月博士と美夜子の存在だ。現実世界と魔法世界がパラレルワールドなんだから、現実世界に美夜子がいてもおかしくはない。しかし、魔法世界ののび太たちの冒険が結果的に現実世界の危機をも救ってましたよ、という描写が余計なのだ。そんなオマケはいらないのである。映画の後半、ドラミちゃんのもしもボックスの受話器を握ったのび太は、ただひたすら魔法世界の仲間や美夜子を助けるためだけに決断したのでなくてはならぬ。この新作もセリフはそうなっているのだが、現実世界の危機も救われたという描写がこの時ののび太の決断が「正解」であったと裏づけてしまっている。結果的に「賢明な」判断だったということになる。そのせいで、賢明ではないからこそ胸を打った筈ののび太の決断の価値は暴落してしまうのだ。また、この現実世界にもどこかに美夜子さんがいるのかもしれないという余韻、「描かぬが花」のロマンも消え失せてしまった。

オレが旧『魔界大冒険』を好きになった要素はことごとくカットされていたものの、じゃあダメ映画かというとそんなことはなく、感傷を味わうメロドラマとしてはたいへんよく出来ていた。しかし今後もこのメロドラマ路線を進むのであれば、やはりこのアプローチが最も有効になるような、オリジナルの物語を用意する必要があるだろう。ズバリ言って、オレもそろそろオリジナルが観たいんですよ。あと声優はプロを使ってください。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)tamic ミレイ[*] 田中 イリューダ

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