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[コメント] ブエノスアイレス(1997/香港)

中途でのテーマの消失が、逆にうまく転がった稀有な例ではないだろうか。(追記及び改編、H14.1.4)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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望郷の映画として見た。ブエノスアイレスのモノトーン調の凍える寒さ、画面が逆さになった香港と台湾、街は激しく動いている。ウォン・カーウァイ作品にとって脱出するべき場所であった香港が、はじめて回帰する場所に転換した瞬間。

この作品は、ゲイのカップルの恋愛の話だったのが、いつのまにかトニー・レオンの実家との距離の話、そしてトニーの望郷の話に変わっているように感じた。

私の推測では、ウォン・カーウァイは現場でどんどん脚本や筋を変えていく方針だからおきたことだと思う。長い撮影の末、まだ結末もついていないのに、次の予定のためにレスリー・チャンが香港に帰ってしまった。主役がいなくなり、どうすればいいか、カーウァイが迷っている間、クリストファー・ドイルは撮影期間中恋人と上手くいかず、自暴自棄になって泣きじゃくっている。カーウァイはそんなドイルを慰めようと、音楽を聞かせる。カーウァイは思う、そういえば、もう香港から長いこと離れちまったよなあ、なんせここ香港の真裏だもんなあ、なんか懐かしくなってきたよなあ、……そうだ映画の後半部分はこの線でいこう、ということになったのではないだろうか。(あくまで中途半端な情報を基にした推測です、すみません)

凍えるほどの寒さのブエノスアイレスでの貧乏生活や、ゲイのカップルの絶えずおこなわれる喧嘩など、この作品の前半部分は、窒息しそうなほど狭い世界が描かれているのに対し、後半はレスリーの不在(ほんの少しだけ出ていたが、使いまわし?)によって空いた大きな穴が、トニーの望郷の念という話に塗り替えられていく。その筋のぐにょっとしたねじれが、『御法度』において突然トミーズ雅坂上二郎の外伝めいた話に変化したときと同じように、奇妙ではあるが、けっして嫌いではない不思議な感覚をおぼえさせた。主役の不在によって、新たな地平が切り開かれ、広いダイナミックな世界が浮上し、どこにいても世界はつながっているという結論が提示され、地球の裏側の台湾や香港の鼓動が映し出され、ラストの"happy together"の躍動感につながって終わっていく構成は、結果的に私にとって気持ちのよい体験になった。

だからといって、何でも話の筋を捻じ曲げればこのようになるかというとそうではない。それはやはりカーウァイとドイルのセンス、及び楽曲の素晴らしさによるものであろう。まあ、完璧構築主義者コーエン兄弟作品の対極ということで、こんな作品もありではないでしょうか。

(評価:★4)

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