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[コメント] GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995/日)

初めてのようでいて初めてではないゴースト。(レビューはラストに言及)
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あまりアニメを観る機会はないのだが、押井守作品を観るのは初めてではない。十数年前小学生の頃に『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を従姉妹に見せられて以来の鑑賞である。ってもう覚えちゃいないから(いつものマンガでの「うる星やつら」とは違う、奇妙な感じがしたというおぼろげな記憶しかない)彼の監督作を観るのはまあほぼ初めてみたいなものだ。今までは敷居が高そうで避けていたのだが、新作発表を気に観ることにした。

私は映画を観て、ああでもないこうでもないと自分なりの下手な思考を張り巡らすのが大好きだ。ただしそのためには、自分を思考の海にいざなってくれるための間が必要である。本作はそうした間が非常に少なく、情報で埋め尽くされた近未来の設定とパラレルに、情報社会に関する哲学的セリフで埋めつくされていて、自分で考えるための隙間を見つけるのにひどく苦労した。(これでも他の押井作品に比べ間が多いというのだから驚きだ。)

それとともに、「ギタイ」「コウガクメイサイ」「キュウカ」「デンノウ」といった聞き慣れない専門用語の多さに戸惑った。それでも、上に挙げた言葉群は「擬体」「光学迷彩」「(公安)9課」「電脳」など漢字に置き換えた意味を知れば、どうにか理解できなくもなかったが、話の最後までピンとこなかったのが、「ゴースト」という言葉である。どちらかというと個の魂というか実存に近いニュアンスで使われていると感じたのだが、「ゴースト」という語句の雰囲気から受けるイメージは魂そのものが消えていきそうな弱々しさであり、そのイメージゆえにこの言葉がセリフの中で使われるたびに混乱していた。

ただ、巨視的な視点から本作を顧みれば、混沌とした社会の中で(やたら気は強いものの)自己の存在の揺らぎの波を漂う主人公や「電脳」は、アイデンティティを模索する幽霊たちのように思えた。それは80年代90年代に文学や映画においてさんざん登場したテーマである(「ゴースト」「幽霊」というタイトルのついた作品の多さといったら!)。本作のストーリーが揺れ動く幽霊たちのダンスだったのだと思うと、なんだか強引だが「ゴースト」という言葉の使われ方にも納得がいったような気がする。それは私の勝手なカテゴライズなのかもしれないが、そうすることによって他の作品との関連性が見えてくると思う。

しかし、それでも最後の主人公の行動についてはあまりうまく理解できない、というかうまくイメージできない。いろいろな要素(体、情報、電子頭脳などなど)が融合していくからこそ、回路が広がっていくからこそ、個は隔絶していく(正確に言うなら個の隔絶という事実に直面し孤立感を深めていく)ような気がするので、むしろ融合とはかけ離れていくのではないだろうか。それは私が何もわかっちゃいないゆえの疑問にすぎないのかもしれないが。

(評価:★3)

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