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[コメント] 1999年の夏休み(1988/日)

あらかじめ去勢された少年たちにのみ許された、この国に建つ虚構のギムナジウムに繰り広げられる愛憎劇。その後継者たるべきはアニメーションであると確信する。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







欧米と日本のホモセクシュアルの(少なくとも一時期までの)完璧な違いは、欧米が完成されたオトコ同士の恋愛だったのに対し、日本では片方が、あるいは双方が精神的に男根を否定された、言うなれば擬似女性的存在だったということだ。(オカマという意味ではない。存在そのものの有り様が、だ)

その事が女形を生み、宝塚歌劇を生み、そしてまた一時期の少女漫画を形作ってきた。萩尾望都の「トーマの心臓」…この作品の原案たるコミックは、舞台をドイツのギムナジウムという、日本の少女たちにとってほぼ訪れる可能性のない場所に置くことで、観念的には男生徒ながら肉体と感性は少女のように柔弱なキャラクターたちの愛のドラマに、なんとかリアリズムらしきものの皮を被せることに成功していた。

それは実写映画でも許されるものだったか、ということはこの映画で判る。少年の格好をした少女たちのなんと存在感がなく、違和感に満ち満ちたものだったことだろう?生活臭を綺麗に拭い去られた学園、日常から隔絶されたかのような機械類は、ただ「1999年」というタイトルに刻まれたフェイクの精神をもって、観客の目を眩ませる要素として用意されたに過ぎない。少年たちのように見える登場人物たちは、それこそ何度でも甦って学園に立ち返る「あの少年」に象徴されるようなおぼろげな幻想であったのだ。

ただし、この作品の価値は、日本のアニメーションという世界に類を見ない進化を遂げたメディアの可能性を確認させたことだろう。この作品にインスパイアされたであろう脚本家榎戸洋司は、『エヴァンゲリオン』で「ヤマアラシのジレンマ」を、『少女革命ウテナ』でヘッセの「デミアン」の一節(卵の殻を破らねば…)を引用することになる。そしてそれらの作品群において、この映画ではうざったいだけだった観念論のぶつけ合いや少年・少女同士の愛を見事に存在感あるものに昇華させた。実写で語り尽くせなかったことを語り継ぐ。それが現在のアニメーションにも尾を引いている価値に相違ないものと信ずる。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)けにろん[*] torinoshield[*] ことは[*] Kavalier tredair ガブリエルアン・カットグラ

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