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[コメント] すべてが変わった日(2020/米)

本作もきめ細かく作られた現代西部劇の佳作だ。いや同時に、『ギャングママ』モノ(『クレイジーママ』でもいいが)としても、注目すべき作品ではないか。時代は1963年、モンタナからサウスダコタへの自動車の旅。
ゑぎ

 車はシボレーのステーションワゴンだ。冒頭はその数年前で、早朝の馬房の場面。馬の手入れと鞍や馬具の装着、調馬索運動のシーンがある。邦題は、この日のことを表しているのだろう。この冒頭から、ダイアン・レインと嫁のローナ−ケイリー・カーターの確執も見せている、というあたりも、きめ細かいと感じるところだ。

 本筋のプロット、モンタナへの旅について、レインが一人行くことを決め、旅の準備も完了しており、夫のケヴィン・コスナーに、一緒に行くかどうかを選ばせる、という展開が面白いし、周到なキャラクタリゼーションだろう。旅に出る前に、墓参のシーンが有り、このあたりまでは、『捜索者』なのかと思う。あるいは、川を見下ろす高台の場面では『大いなる西部』を思い出したりもする。

 ところが、目的地であるウィーボーイの屋敷に近づくにつれ、出てくる人物も胡散臭く、嫌らしく、緊張感たっぷりになって来る。そして屋敷の外観の気味悪い佇まい。待っていたのは女主人、レスリー・マンヴィルで、見事な貫禄、悪女の造型だ。マーセデス・マッケンブリッジといい勝負、というぐらいの怖さなのだ。つまり、こゝへ来て、本作は西部劇、というよりも完全に、レスリー・マンヴィルによる『傷だらけの挽歌』や『ビッグバッドママ』の様相を呈して来るのだ。もちろん、ダイアン・レインが女傑対決としてどれだけ拮抗できるのか、コスナーがマンヴィルの息子たち含めてやっつけることができるのか、というのがクライマックスとなる。

 さて、帰結の現実らしさ(現実と照らし合わせた納得性)は、私にはどうでもいいのだが、中盤で、屋敷の構造をもう少し丁寧に描いて(見せて)おけば尚良かったと思った。ならば、『レベッカ』や『ジェーン・エア』のように、屋敷が主役とも云うことができただろう。尚。原題の『LET HIM GO』は、レインが耳元で囁く部分(行為)を意味していると私は解した。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)irodori[*] jollyjoker[*]

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