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[コメント] 2001年宇宙の旅(1968/米=英)

固定観念の枠から離れることができない凡人の頭で、アインシュタインの相対性理論を理解しようとすると、その難解さに脳味噌が捩れる様な感覚に陥る。この映画を最初に観たときの感覚がまさにこれ。
Pino☆

 運動する物体にとっては時間の流れが遅くなったり、進行方向の長さが縮んだり、質量を持つ物体の周囲では空間が曲げられたり・・・、目に見える日常の世界しか理解しようとしない人にとって、相対性理論が説明する事柄は酷く理解し難い。私の様な凡人が、これを理解しようとすると、その難解さに脳味噌が悲鳴をあげる。

 やっとの思いで、その難しい理論を理解できたとしても、それが終着駅ではない。宇宙や自然の多様性は、人間の思考を遥かに超えている。現時点の理論や解釈は、所詮、現時点での発想や技術に基づくものでしかないのである。

 それは、物理学や天文学の歴史を辿れば一目瞭然だ。頭の良い人が、ある時、「この理論は間違い無い。この法則は絶対だ。」と唱えても、後の実験がそれをひっくり返した例は枚挙に暇がない。例えば、ニュートン力学では、相対論の事柄は説明できないし、今や場の量子論を扱う上では、相対性理論ですら完璧では無いそうだ。

 つまり、確立された理論や法則は、その時、人が知ろうとする範囲の事柄を数式で近似したに過ぎないとも言える。しかし、これは悲観論ではない。知ろうとする範囲が拡がれば拡がるほど、新たな矛盾を解く新しい理論や法則が確立され、それが人類の発展に寄与してきたとも言えるからだ。

 この映画は、そんな人類の歴史を垣間見ているようだ。1つを理解すれば、その先にまた1つ理解し難い小宇宙が眠っている。それを1つ1つ噛み砕いていく作業は、まさに人類発展の歴史の様である。

 結局のところ、我々人類が生きている間に、宇宙や自然の持つ多様性を全て解明することはできないのかもしれない。それは、この映画の持つ意味をどんなに掘り下げても、究極のメッセージには辿りつきそうにないのと似ている。しかし、それを解明しようとする試みを続けることこそ、考える脳を持った人類の使命なのではないだろうか?

 この映画に少しだけ追いついた。でも、その先にはまだまだ未開の原野が拡がっている。思考を止める暇は無い。そんなことを感じた映画だった。

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 しかし、そう思うまで20年もかかってしまった。この映画を最初に見たのは、小学生の頃だったと思うが、あまりのワケ分からなさに、始まって間もなく、思考停止⇒睡魔⇒熟睡したのを覚えている。その後、何度もこの映画にトライしたが、思考停止に陥るまでの時間こそ変われど、毎回このパターンだった。以来、私の中でこの作品は、良く眠れるつまらない映画という印象でしか無かった。

 しかし、他のスタンリー・キューブリック作品を観るうちに、この映画の印象も随分変わってきた。思考を止めて、ボーッと観るべき映画ではない。腹を据えて熟考しながら、観るべき映画である。自分が考えようとする態度が重要なのだ。観方さえ変えれば、決して眠くはならない。

 最後まで観れる様になったのはつい最近のことだ。今はもう眠くなる映画ではない。観れば観るほど奥深い凄い映画である。人は思考しながら成長する。この映画を好きになったことは、私にも少しだけ知恵が備わった証拠なのかもしれない。

 とは言え、こんな凄い作品を作ったスタンリー・キューブリックの前では、私もやはり冒頭に出てくる猿以下の存在に過ぎないようだ。

(評価:★4)

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