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[コメント] 007/消されたライセンス(1989/英)

すべては亡き妻のために。
たわば

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画、ボンド映画としては概ね評判がよろしくない。かく言う私も最初観たときは失望した。そこそこに面白いんだけど、スケールが小さいし、ボンドもなんか必死すぎて余裕がない。真面目すぎて面白みがないというのが正直な感想だった。しかし私はある場面に注目してこの映画を観直したところ、私の評価は180度変わった。それは映画の序盤、ボンドが盟友フェリックスと彼の花嫁の無残な姿を発見する場面であり、ここにこの映画を理解するポイントが隠されていた。

この場面から、生きていたフェリックスを除くと、残るのは「結婚式の後、花嫁を殺される」というシチュエーションである。最初は見過ごしていたが、これは『女王陛下の007』のラストそのものだということに気がついたのだ。話を少し戻してフェリックスの結婚式の夜。花嫁デラから縁起物を受け取るボンドにふとよぎる過去。この伏線が重要である。そしてデラの死。劇中のセリフでは何も語られてないが、伏線の張り方からすると、花嫁であるデラの死はボンドの心の奥底に眠っていた「あの時」の記憶を呼び覚ましたに違いない。そしてこの時、ボンドの心には亡き妻への想いが蘇ったのだ。そう考えてみると、ボンドがデラの亡骸を見つける場面も違って見えてくる。ボンドが見つけたのは、殺された自分の妻であり、彼にとってこれ以上の悲しみはない状況が目の前に再現されたのだ。もうこの時点で、私は涙を押さえることができなかった。この映画はボンドが親友のために仇を討つ話であるが、それは表面的な事にすぎない。その根底にあるのは、あくまで亡き妻への想いであり、それこそが今回の彼を突き動かしている原動力であることを見逃してはいけない。いわば今回の復讐は相手こそ違えど、亡き妻への弔い合戦でもあり、これを念頭において見ると、この映画本来の良さが伝わってくるのだ。ボンドがあんなに必死になるのも友のため、というより亡き妻のため、と考えれば納得がいくのではなかろうか。そしてそんな命令違反する彼に、情報部のみんなが協力的なのも、そういういきさつを知っているからこそなのである。

そしてこの「花嫁の死」の場面を物語の始まりの部分に持ってくるということは、この映画は「女王陛下の007」の続きを意識していると考えた。続きと言っても別に続編ではない。妻を失い、心に傷を抱えたままのボンドを引き継いでいるという意味である。そこでシリーズを振り返ってみると『女王陛下の007』で花嫁を殺されるという悲劇は、次作『ダイヤモンドは永遠に』でうやむやにはぐらかされ、悲しみもへったくれもあったものではなかった。そして『ユア・アイズ・オンリー』の冒頭でブロフェルドらしき人物に仇を討ち、一応の決着はつけたように見える。だがそこには何の感慨もなく、ただのおちゃらけた場面の一つでしかなかった。こんなことでボンドの心の傷は癒えたのだろうか。これじゃ亡き妻も浮かばれない。観客だってそうだし、まして「女王陛下の007」が好きなファン(私)にとってはなおさらだ。そんなボンドと観客の思いに答えてくれたのがこの映画なのだ。

原題は「LICENCE TO KILL」、言わずと知れた「殺しの許可証」である。今回彼はそれをはく奪される。持ってないのになぜこの題名なのか。そもそもこの許可証は「すべては女王陛下のために」あるものだ。しかし、それを今回は捨ててしまった。代わりに思い浮かぶのが亡き妻トレーシーである。今回の許可証が「すべては女王陛下のために」ではなく「すべては亡き妻のために」あるものとすれば合点が行くのではなかろうか。そう考えると、この映画の中心にあるテーマが見えてくる。それは「自分の愛する者への忠誠が、祖国に対する忠誠よりも優る」というものであり、私はこのテーマに強く心を撃たれた、いや打たれたのだ。シリーズ中で最も血なまぐさく、残酷なシーンも多いし、遊びのシーンも少なく、敵も地味なので、ボンド映画として満足できるとは言い難い。おまけに変な忍者が登場する減点まである。しかし私は、この「すべては亡き妻のために」動くボンドの姿に心動かされ、評価はガラリと変化したのであった。

この映画は冒頭のスカイダイブで始まり、プールへのダイブで終る。冒頭のダイブはボンドが過去に引き戻されることを意味しており、ラストの水へのダイブは復讐の炎を消す「みそぎ」を意味している。この鮮やかな締めくくりのために、見終わった後の印象も爽やかに感じられる。そしてこのジャンプには、今までのボンド映画の路線からも逸脱するという決意表明の意味もあったと感じられる。確かにこの映画は、それまでの007とは印象が違う異色作である。(そういう意味でも「女王陛下の007」と同類と言える)この映画の内容は原作にはないオリジナルらしく、そこまでして製作者たちが描きたかったものが「すべては亡き妻のために」だったとするならば、私はその心意気を高く評価したい。そしてこの役に一番ふさわしいボンドはティモシー・ダルトン以外に考えられず、彼なくしてこの作品は成立しなかったと思うほどの必然性が感じられた。さらに監督のジョン・グレンは『女王陛下の007』では編集兼アクション監督を務め、初監督作『ユア・アイズ・オンリー』で冒頭に妻の仇ブロフェルドらしき人物を登場させ、この監督最終作でボンドの過去を清算させるという徹底ぶりで、よほどボンドの妻にこだわりを持っているかが窺われる。おそらくみんな、亡き妻トレーシーのファンであり、これは彼女のために捧げられた映画と言えるのではなかろうか。

この映画を単体として考えるとそれほど評価は高くないだろう。しかしこの映画を『女王陛下の007』と対の作品と考えた場合、私はこの映画に特別の愛着を感じずにはいられない。「女王陛下の007」が傑作として見直されてる昨今、いつの日かこの映画も見直される日が来ることを切に願いつつ、私の独り善がりのコメントも終りにしたい。どうも長文失礼しました。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ジョー・チップ sawa:38[*]

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