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[コメント] イースタン・プロミス(2007/英=カナダ=米)

血と土。肌と刃。‘絆’と‘因縁’の、禍々しさと浄福。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ニコライが「法の泥棒」に迎え入れられるシーンでの、あの厳粛かつ冒涜的な面接の緊張感には震える。こうした、ロシアンマフィアのサブカルチャー的な濃密さ、闇の深さの演出は全篇に渡って渋く輝いているが、‘メンバー同士の親密さ’という点では共通していながらもその秘密結社的な面と対照的なのは、セミオンの料理店に親戚達が集っている光景。ニコライは、面接官である男達の前で父を否定し、「母は…」と言いかけるが、男の一人から「いずれにせよ売春婦だ」と告げられた言葉を黙って受け入れる。血縁の絶対的な否定。だがこの儀式を経て彼が得た星型の刺青は、セミオンが、息子キリルの身代わりとして敵側に引き渡す為に与えたものであり、またキリルがなぜ命を狙われるのかと言えば、彼が殺害させた男に兄弟がいたからなのだ。全ては血縁の因縁。

看護師のアンナは「誕生と死は隣り合わせよ」という言葉を口にするが、その彼女自身は、黒人の子を身籠ったが流産した過去がある。伯父ステパンはそれを詰り、人種の違う者と子をなすのは不自然だと言う。最後にはアンナは、彼女とは対照的に、子は産んだが自分は死んだ少女の子クリスティーナを自分の子として引き受ける。クリスティーナは、血の繋がりは無いが家族として迎えられたという意味で、セミオンに裏切られたニコライと対称的。セミオンは裏切りの直前まで、意気地が無い上に同性愛者であるらしい息子を捨て、ニコライを選ぶかと思わせていただけに、この裏切りは血の因縁の深さを印象づける。セミオンが厨房で息子にワインを取りに行かせ、ニコライに星型の刺青を与える話をするシーンでは、てっきり倉庫でキリルが攫われるか殺されると思ったものだが。

クリスティーナは、クリスマスに生まれた事に因んでそう名づけられたのだが、クリスマスと言えば、イエスが生まれた日という事になっており、イエスは処女懐胎したマリアから、つまりは父との血の繋がり無く生まれた子。これとまた対称を成すように、クリスティーナの母はセミオンに強姦されて妊娠したのだった。最後には血縁の無いアンナが母となるわけだが、ロシア人の間に生まれた子がロシア系の家庭の子になる、という意味では、死んだ少女が日記に書いていた「炭坑夫の父は死ぬ前からロシアの土に埋もれていた。だから私は故郷を出た。もっとマシな所へ行きたくて」という言葉で否定していたロシアは、異国の地で彼女の娘を抱き入れ、救ったのだ。少女にとっては「マシ」どころかその人生を台無しにされた場所であるロンドンは、その娘にとっては幸福な場所になる。

こうした、血縁と土地の因縁が執拗に描かれる本作。マフィアの個人史を表わす唯一の証しが、肌に刻まれた刺青である事や、KGBに勤めていたと得意げに語る偏狭なステパンが、ニコライから「死か国外逃亡だ」と告げられて消える事など、因縁を否定するような描写がある半面、ニコライがキリルに命じられて抱いた娼婦が故郷のものと思しき唄を歌い、彼女にニコライが姓や故郷の名を訊ねる場面では、血と土は祈りの対象にも似た存在になる。実は潜入捜査官であったニコライは、偽装として、「法の泥棒」以外の一切の絆を拒絶してみせるが、その彼の犠牲によって、クリスティーナは救われる。言わば彼はキリスト的、乃至は天使的な存在。それでいながらも同時にニコライは、その佇まいのみならず、「王が居るままでは王になれない」といってニコライを排除する策略も含め、何か底の知れない凄みを放ってもいる。この‘両義性’は、本作を貫く一本の軸と言えるだろう。

劇中の「チェチェン」や「アフガニスタン」といった名詞が物語の現代性を感じさせるが、この映画の舞台がもし「人種の坩堝」ニューヨークであれば、この濃密な空間は実現しなかっただろう。その点、ロンドンという場所は絶妙な設定だった。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH[*] けにろん[*]

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