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[コメント] HANA-BI(1997/日)

ミニマムな表現に漲る厳しさと、それを絶妙に崩しに来る絵画の挿入。その簡潔さゆえに際立つ細部。波の打ち寄せ方や、画面を横切る猫の動きなど、フィルムに刻まれた全てが北野を祝福しているかのようだ。哀しみに充ちたプロットと、幸福な画面。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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冒頭の、久石譲の叙情的な音楽と、不良の不逞な顔の大写しの絶妙なミスマッチ感。作品自体が「間(ま)」の演出によるものだが、被写体との間の取り方もまた秀逸なものがある。

西(ビートたけし)がキオスクから犯人に突然跳びかかるカット含め、暴力の唐突さがそのままカッティングの「驚き」として結実している。多くのシーンで俯き加減であったり、サングラスを着けていたりする西の無表情さが、暴力の瞬間的な衝撃度をより高める。そこでは、「相手が銃を抜いた瞬間に先に撃つ」というイーストウッド的早撃ちの倫理さえ省略され、例えばチンピラが「兄貴が、利子が足んねぇって…」と暴力性をチラつかせた途端に瞬殺。

妻(岸本加世子)との遣り取りも、一緒に幾何学的なパズルをしたり、トランプのカード当てをしたり、あからさまに情緒的なものは排した抽象性に徹している。そうしたミニマムな表現のクールさを崩すように、画面の端々に現れる素朴な絵画。だが、シンプルさという点では、やはり一連の表現の枠にきちんと収まってもいる。

家族連れと思しき人物が描かれた絵。全篇を通じて、家族は、車椅子の堀部(大杉漣)が海岸に見かける親子や、寺の鐘を見にきた老人と少年、そして西が妻と最後を迎える海岸で凧を揚げていた少女など、飽く迄も「風景」として、距離を置いて存在するものに留まる。

花屋の前で堀部が花を見つめるシーンで、彼の脳裏に浮かんだものと思しき絵画が次々に挿入されるカットインの連続は、表現として簡潔であると同時に、過剰な分量でもある。生き物の顔の代わりに花を描いた絵。顔の喪失は死を感じさせるが、花には色鮮やかな生が宿る。(このシーンを挿むように、西がタクシーをパトカーに塗り替えているのは「ペイント」繋がりなのだろうか)

表現の簡潔さの一方で、屑屋のオヤジ(渡辺哲)と、彼に車をぶつけられた男とのコントっぽい遣り取りなど、本筋と一切関係の無さそうなシーンが挿入される、奇妙な過剰さ。北野は、西も含めた世界を平面的に描くことで、特定の人物を特権化することを避けているように見える。それは照れ隠しのようなものかも知れないが、例えば、一人車椅子に座っていることしか出来ない堀部と西とを殆ど平等に描くことで、平面的であるが故の広がりを持った世界観を獲得し得ている。

ラストカットの被写体ともなる凧揚げ少女(北野井子)や、西の同僚を撃つヤクザ、西の車のボンネットで弁当を食っていた不良等、通常の映画であればその他大勢として匿名性の内に沈みがちな「顔」が、実に印象的に撮られている。素材としての「顔」の味を活かす演出。北野自身、どこかで『戦場のメリークリスマス』での出演について「ちゃんとした役者の中に自分みたいなレンガの塊みたいなのがゴロッと存在することに意味がある」といったことを発言していたが、その教訓を律儀に反復しているようにも見える。

ラストの、西と妻をフレームの外に送りつつ海へと向けられていくカメラワーク。その滞空時間の長さがそのまま西夫妻の想いの深さとなり得ているのは、演出の勝利だ。そして、二発の銃声が聞こえた後の空白を埋めるように、青々とした海面に沸き立つ白波。この、情緒を描かないことによって描き切る演出の、簡潔さと完璧さ。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] 緑雨[*]

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