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[コメント] 天使のたまご(1985/日)

処女懐胎と永劫回帰。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







どことなく、シュペルヴィエルの≪海の上の少女≫を思わせる。舞台装置は対照的だけど、どちらも、作品全体に漂う、甘い寂寥感に魅入られる。映像と音の繊細な美しさは、薄い陶器やガラス細工のよう。そっと触っただけでも壊れてしまいそうな印象で、それがまた、卵の殻のように脆い幻影を描いた世界観と、ぴたりと重なり合う。

眠り続け、夢見続けている、始祖鳥の卵。夜の街に浮遊する、影しか見えない、巨大なシーラカンス。どちらも、古代の遠い記憶の象徴だ。懸命に魚を捕らえようとする人々の姿を見て、少女が呟く「魚なんて、居ないのに」という言葉。魚が居る、という事は、街は水の底に沈んでいる、という事。不在の魚は、街の不在の暗喩なのだろう。「僕らが現実だと思って生きている世界は、実は方舟の中の幻想なのではないか」という監督の言葉のように、化石化した幻影の街は、他の押井作品にも表れている、脳内幻想としての都市の儚さ、脆さを、最も美しく描き切っている。

方舟から、地上の様子を確めて報告させる為に放たれた鳥の伝説は、帰って来ない鳥、鳥の不在がそのまま、世界の存在を確める術が無い事を示しているのだと思う。とすれば、卵の中で夢見続けている鳥とは、世界の存在、或いは不在に関心を寄せず、自らの脳裏に描いた通りの世界の中に生き続ける、人々の在り様、特に少女の、化石化する事も、成長する事も拒絶して永遠に少女のままであり続けようとする姿と、重なり合う。しかも少女は、少女のままに懐妊し、懐妊し続ける。スカートの中に卵を包み込んで抱くその姿は、懐妊した少女の姿だ。空っぽの卵を包み込む少女は、彼女自身が、空っぽの街に包み込まれている。その街は、卵の黒い影のような形をしている。少女が卵を抱くのと同時に、少女が卵に抱かれているのだ。丸いガラスの器に水を充たし続ける少女は、街を廃墟に、空っぽの卵にする大水を、ガラスのように脆い幻想の卵の中に押し込めようとしていたのだろうか。

しかし、少年(=帰って来た鳥?)はその幻想の殻を銃身で押し潰してしまう。彼は、街を行く戦車の行進の傍らで少女と出会うが、他の押井作品でも、街という存在の危うさは、戦争という状況と共に描かれる。『天使のたまご』単体で見ると、この戦車の列や、魚を捕らえるために放たれた武器で街が破壊されていく場面は、その必然性がやや分かり難いのだけど、押井作品の一貫したテーマ、モチーフの一つの表れとして捉えれば、見えてくるものがあると思う。例えばこの作品は、いつもの押井印である犬が居ないが、犬は押井作品の中で常に、人の傍らに寄り添うものとして描かれていた筈。つまり犬の不在は、この作品が他の作品よりも更に徹底的に、寄る辺ない人の有り様を描いた作品である事を証明しているのではないだろうか。考えてみれば、この映画には犬だけでなく、鳥も魚も居ないのだ。鳥は卵の中で眠ったままだし、魚は影を見せるだけで、その姿は見せない。全ては幻影であり、そこに、生身の暖かな身体性としての犬が、居場所を持つ事は出来ないのだろう。

さて、卵は破壊され、幻影は破壊され、少女は遂に「時間」と出逢う。それは、成長した自分の姿を、水面に映った影像として見つける場面にも表れているし(後の『イノセンス』で、冒頭辺りのCG場面、少女アンドロイドが単性生殖のように分裂した自分の似姿と向かい合う場面を連想された方も多い筈。僕もですよ)、水に充たされる街は、世界の終焉という出来事を告げ報せる。こうして見ると、この作品での「水」は、時間の暗喩だと考える事も出来るだろう。それをガラスの器に閉じ込めていた少女は、時間を卵の中に閉じ込めていた訳だ。そうすると、少女が魂のように吐き出した息が、水面に浮かび上がる無数の泡となり、そしてその泡が無数の卵になるというあの結末は、戦慄的だ。幻影は、世界が確たるものとしては不在であるからこそ生み出されるし、繰り返し、無数に生み出されるのだ。そして生み出された幻影は、やはり空虚な泡であり、僕らが現実として見ている世界は、シャボン玉の表面の、虹色の幻のようなものでしかない・・・。

たとえ人にどれほどの「時間」が与えられても、全ては空中楼閣、バベルの塔に過ぎないのかも知れない。人の営みは、シジュフォスに科せられた、山頂で必ず転がり落ちる岩を、永遠に押し上げ続けるような、虚しい営みなのかも知れない。しかし、そうして紡がれていく世界の、無限の美しさ。また、この作品それ自体の美しさが、人の描く幻の、儚さゆえの愛おしさ、貴重さを、静かに訴えているように思えてならない。

イノセンス』公開時に再注目されたこの作品だけど、『イノセンス』の饒舌さとは対照的な作風。僕はむしろ、この『天使のたまご』こそカンヌに、世界に出ていれば、と思う。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)DSCH [*] ガリガリ博士[*]

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