コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ロイ・ビーン(1972/米)

アメリカ合衆国にあっては、西部劇に描かれる時代とギャング映画に描かれる時代、そして現代は途切れることのないひとつづきのものであるということがよく分かる。
3819695

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画が『砂漠の流れ者』を思い起こさせるというのは、何もポール・ニューマンアンソニー・パーキンスの風体がジェイソン・ロバーズデヴィッド・ワーナーのそれに似通っているからばかりではないだろう。「七〇年代」はまさに七〇年代という時代にふさわしい仕方で「西部の終り」を描くことを要請するが、『砂漠の流れ者』『ロイ・ビーン』のようにそれに従うことは、作品の相貌に真摯さとある種の軽薄さを与える。要するに、七〇年代に西部劇をつくるという試みが纏わざるをえない空気が共通しているとでも云えばよいか。と云っても、もちろんその二作品は基本的にはまったく異なる映画だ。たとえば『ロイ・ビーン』は『砂漠の流れ者』とは違って、「西部の終り」のその先をまるで神話のように語ってみせる。

映画の後半、ニューマンは二〇年ぶりに町に舞い戻る。その二〇年という数字はアメリカ合衆国が「西部開拓(=西部劇の)時代」から「禁酒法(=ギャング映画の)時代」に移行する期間を意味しているのだが、もはや「西部開拓時代」ではないそこにおいてニューマンが見せるのは帰還・再会・復讐という西部劇神話的=時代錯誤的な振舞いである(だからこそ感動的なのだ)。そして忘れがたいラストのエヴァ・ガードナーのシーンは、その具体的な実際の年代がいつであるかにはかかわらず、物語の構造としては「現代」に位置づけられる。このように「西部開拓時代」から「現代」までをひとつづきのものとして、時に喜劇的に時に神話的に描くというのは、実に得がたいヒューストンジョン・ミリアスによる独創だろう。

しかしながら、この映画の真のすばらしさはそのような映画の結構に存するのではなく、ステイシー・キーチの奇抜なキャラクタや熊、叙情的な光などといった印象的な細部に事欠かないということではないだろうか。殊に心を揺さぶられずにはいられないジャクリーン・ビセットの凛とした美しさ。私にはそれだけでいい。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)けにろん[*] Orpheus 煽尼采 ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。