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[コメント] しあわせのかおり 幸福的馨香(2008/日)

劇場からの帰り道は藤竜也で頭がいっぱいになる藤竜也映画。紹興で真正の中国人に囲まれて完全に溶け込みつつ、非母語話者的アクセントの日本語を操ってエキセントリックに堕しないというのは実際凄い。「まじない」シーンの藤―「これで幸せになれます」という言葉のいいかげんさ&本気顔―には涙腺をやられる。
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**ネタバレ注意**
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非常に丁寧な仕事ぶりでうれしくなる。後景が白くトんだ画面がしばしば見受けられるのが気になるが、それ以外は概ね適切に光を按配し、色を配置している。また、とりわけ調理シーンにおける音響がよい。食材と調理器具が立てる音の定位と響きの見事さ。『しあわせのかおり』などと謳ってはいるが、むろん「かおり」などというものはスクリーンから漂ってきはしない。三原光尋はそれを正しく視聴覚的に翻訳している。

作劇に関しても奇を衒わず丁寧に「いい話」を築いている、ように見えるが、ときおり妙にセオリーを無視したところがあり、もっと「お約束」に徹したほうがよかったのではないかと思う。

たとえば、「最近娘がよく咳き込む」ことは伏線として機能することを期待してしまうし(一方で、八千草薫の息子の結婚相手が「音大の声楽科」などというどうでもよいと思われた事柄が伏線として仰天の、あるいは頓珍漢な帰結を導いたりもしています)、平泉成が「娘にトマト卵炒めの作り方を教えてやってください」と云う場面においては、中谷美紀は「会社を辞めてウチに来なさい」という藤の言葉を反復するべきではなかっただろうか(もちろんトマト卵炒めと門外不出の蟹焼売とでは事情が異なるでしょうし、中谷と「娘」とでは立場がまったく違うのですから、中谷がここで「会社を辞めてウチに来なさい」と云ってはおかしいでしょう。したがって、そもそも平泉にはあのような台詞を云わせてはならなかったのです)。

また、「ちゃんと鍋を振れるか」の一点が「中谷が料理人になれるか」「藤が料理人として再起できるか」を分けるキイとして語られてきたのだから、食事会の料理を作るシークェンスにおいて中谷・藤の「鍋を振る」アクションがさらっと流されてしまうのはいただけない。それはおそらく演出家の慎み深さのためであって、彼の慎み深さは藤が中谷の呼び方を「山下さん」から「貴子さん」に変更する瞬間を描かない(いつの間にか「貴子さん」と呼んでいる!)という催涙的な省略を生んでもいるのだから端的に批難されるべきではないのだが、同時に、三原は執拗な接写によって藤と中谷の顔面のすばらしさを引き出すなどの厚かましさも持っていたのだから、それと同じ厚かましさを以って「鍋を振る」アクションを観客に叩きつけることもできたはずではないか。

さらに、これは感動的な「写真」の映画でもあるのだから、藤と中谷がいっしょに収まった(紹興で撮った)写真はぜひとも画面に明示するべきだったろう。「同種の欠落を抱え、それを補い合う」という云わずもがなの藤と中谷の関係性を視覚的にダメ押しするために、藤と家族の写真・中谷と父親の写真・藤と中谷の写真の三葉をエンドタイトルバックで並べてみせる。それぐらい「ありきたり」であってもかまわないと私は思う。ここにおいても過度の慎み深さは不要だ。

とても丁寧で、慎み深く、良心的な作品だからこそ、もっと積極的に「ありきたり」や「お約束」を踏襲する図々しさもほしかった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ジェリー[*]

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