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[コメント] フレンジー(1972/米)

ここではヒッチコックの自作のパブリック・イメージに収まろうとするベクトルと逸脱しようとするベクトルが同時に顕れているように見える。過去の巻き込まれ型「間違えられた男」サスペンスと異なるのは、確固たるヒロインが不在であることと真犯人側の描写の比重が大きいことだ。
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**ネタバレ注意**
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そのことは「この映画の主人公はジョン・フィンチバリー・フォスターの二人だ」という云い方もできるだろう。フォスターがトラックの荷台に潜り込むシーンでのハラハラ感(「わわ、そんなにもたついてると見つかっちゃうよー」)・イライラ感(「なんで死後硬直してんだよー。ピン取れないじゃないかあ」)の演出は、多くの場合感情移入の対象となるべき人物(「善」「正義」の側の人物など)に対してなされるものであるのだから、ここにはこの映画における変態野郎フォスターの扱いの大きさが端的に現れていると云える。また「殺人シーンを見せない後退カメラ」という大技が使われるのもフォスター側の描写だ。

だが、果たしてフォスターは主人公を務めるに足る「内面」を備えていただろうか。まあ「『内面』がない」なんてことはヒッチコック映画のキャラクタ全般に云える傾向だし、映画の主人公/登場人物には必ずしも「内面」がなければならないとは私も思っていないけれども(そもそも「内面」って何よ? という問題もありますね)、しかしそれにしてもここでのフォスターは、たとえばノーマン・ベイツにあったような「背景」を欠きすぎている。したがってフォスターは主人公フィンチと同格の位置を与えられていながらも、もっぱら「装置」として機能する存在にすぎないのだ。この「マクガフィン」ともまた少し異なる感覚でこしらえられたフォスターという「装置」の存在の構造的ないびつさは、グロテスクな直接描写など以上にこの映画の異常性を体現しているように思える。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ぽんしゅう[*] IN4MATION[*] 緑雨[*]

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