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[コメント] 愛を読むひと(2008/米=独)

クリス・メンゲスロジャー・ディーキンスという当代一流と超一流の撮影監督を擁した、近年にないほど贅沢な作品。しかし実際に私が見た限りではほとんどのシーンがメンゲスのタッチに思える。共同撮影監督とされるに相応しいほどディーキンスが積極的な仕事をしたのか、ちょっと疑わしい。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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(ディーキンスはともかく、メンゲスってそんなに凄い人なの? と云う人もいるかもしれませんが、私の愛して止まないケン・ローチケス』とトミー・リー・ジョーンズメルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を撮った人物なのですから、少なくとも私はこの人の名前を無視できません)

さて、基本的に不味くはない映画だが、これでは少し素直すぎたと思う。デヴィッド・クロス(少年時代)とレイフ・ファインズ(中年時代)の間に生じる「朗読」という同一行為の変質。独房のケイト・ウィンスレットが「録音テープ」を介してファインズに接するという、時空間的に断たれながら果たされる再会。ウィンスレットが文字を学ぶためには服役―「孤独」と「拘束」―の環境が要されたというねじれ。また、それはウィンスレットに対するファインズの文字「教育」でもあるのだが、その教育の間接ぶり。これらは一言で云えば「複雑さ」なのだが、演出はその複雑さに対して素直に挑み過ぎて処理しきれていないのではないか。たとえば「朗読」(もっと云えば「声」)から官能性を引き出すさまが甘いと思う。朗読と情事が結ばれているからエロティックなのではなく、演出は朗読という行為それ自体からもっとエロティシズムを見出さなければならないはずだ。そうでなければ、端的に云って、前半と後半の朗読の変質(落差と云ってもよい)が活きない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)緑雨[*] 煽尼采[*]

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