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[コメント] 渇き(2009/韓国)

どうしてもコメディを志向してしまうパク・チャヌクの性向には親しみを抱くが、背徳感は相殺されてしまっている。背徳的なのはあくまでも物語の筋であって、映画そのものはそうなっていない。日光を致命的弱点とするなどの「不具性」よりも、驚異的な膂力や回復力などの「超人性」が強調された吸血鬼。
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**ネタバレ注意**
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ソン・ガンホが覚える「吸血欲」はほぼ正確にヒトの「食欲」に対応したもので、「性欲」とは別個に存在している。逆に云えば、ヒトの食欲と性欲が連関しているのと同程度にはガンホのそれらもまた連関はしているはずだが、ともかくここでの吸血行為は性行為のメタファとして弱く(ガンホは「処女」の生き血を求めない。「入院患者のおっさん」の血でよしとしてしまう)、喜劇性の獲得と背徳感の減少の原因もまずそこに求めることができるだろう。

ガンホなりキム・オクビンなりが怪力を発揮する場面は大概が馬鹿馬鹿しくて笑うが、終盤ではそれもいささか食傷気味になる。最も面白いカットは、序盤でオクビンが「夢遊病」と称して深夜の戸外を全力疾走するカットだ。アスリートばりのランニング・フォームがよい。ここでのオクビンは「裸足」であり、ゆえにガンホから「靴」を貸し与えられるのだが、ラストカットもまた靴であったことを思えば、「足/脚」の主題も見えてくるかもしれない。

また、ガンホは入手した血液をボトルに容れて携帯したり、オクビンに「足首を切って遺体を吊るせば、無駄なく血液を絞りだせる」といったことを忠告する。あるいはラスト・シークェンスのオクビンは日光から身を隠すために様々の手段を講じる。このような「吸血鬼生活の技術的側面」とでも呼ぶべきものの描写は少なくとも私の中の吸血鬼映画の記憶にはほとんどなかったもので、したがってその趣向がより徹底されていたら私もまた満足を覚えたに違いない。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)DSCH[*] ぽんしゅう[*]

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