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[コメント] 八仙飯店之人肉饅頭(1992/香港)

見直して気づかされる、理知的な構成。
アブサン

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







猟奇殺人の陰惨さと犯人の暴走などのエログロをこれでもか!としつこく描きながら、中盤であっさりと犯人逮捕、今度は犯人が色んな人間から拷問される被害者へと変化し、そして最後の自白を通してまた最悪の加害者へ転身する。

この映画は過激さばかりに目を奪われがちだが、大胆に展開する構成は、実に緻密に計算されたものではないだろうか。

普通、過激な描写が連続するだけでは観客は飽きてしまうものだ。しかしいきなり「人肉饅頭」事件というめちゃんこ過激なスタート地点から始まるこの作品は、インフレとも深化ともつかない異様な迫力で人間の醜さを描き続け、終始観客を圧倒する。

何より「被害者の遺体を饅頭にしていた事件」よりも警察の拷問の方が最悪、という描き方が出来ているだけでも、演出や脚本のレベルが非常に高いことがわかる。こんな非常識な展開、並大抵の技術で作れるわけがない。

正直、初めて見たときは作品の不快さと強烈さに圧倒されてしまい、そんなことまで深く考える余裕なんてある訳がなかった。刑務所で犯人のウォンさんを助ける心優しき囚人の存在に救いを求めつつ、「ヤベー映画見ちゃったな…」と友達と一緒に引きつった顔で笑い合うのがやっとだった。

しかし年月が経って見直してみると描写の凄さには改めてビビりながらも、その構造の巧みさに気づかされて、心から驚いた。

映画内では、「人肉饅頭」自体は死体処理の手段という割り切り方で(それも恐ろしいが)、思いの外詳しく描かれていない。なんなら出番は少ないくらいだ。狂った殺人シーンの方が時間を割かれていて、それでは饅頭自体のインパクトが薄れそうなものなのだが、しかしこの作品は本当に人肉を食べさせられたような、リアルな嫌悪感と不快感を漂わせ続けている。

この嫌悪感は、殺人鬼のウォンさんが序盤で豚を捌くシーンがポイントになっていると思う。初見時にもかなり印象に残った場面だ。作り物ではない豚の死骸がベロリンと内臓を溢しながら解体されていき、スーパーでも見慣れたブツ切りから挽き肉、饅頭へと形を変え、饅頭屋の客たちが肉まんをほお張る映像につながる。その様子を一連の映像で見せる。

加工の工程をたどったよくある編集に思えるが、観客は事前にこれが人肉を扱う映画だと知っているので、どうしても豚の解体と人間の死体を重ねてしまう。豚の解体がいかにも臭そうで不衛生な環境で行われているのも重要で、観客に肉まんの味を思い出させながら、同時にその汚さと味覚を結びつけているのだ。加えて、「食品への不安」という社会的な恐怖がさらに説得力を与えている。序盤にこの工程を丁寧に見せることで、その後も絶えず「人肉饅頭」へのリアルな嫌悪感が維持されるのだ。作品の「客寄せ要素」である人肉饅頭にこうしたテクニックを丁寧に施しているのが実に堅実でうまい。冷静とすら言っていいと思う。勢いだけの過激な映画には作れないものだ。

この映画の特殊メイクは決して出来がよいものではないが、豚の解体シーンの感覚と食べ慣れた肉まんの味やにおいが無意識に結びつくため、切り分けられた人間の手足が多少ニセ物っぽくても、リアルな不快感がリピートされるのだ。展開を負うごとにそれが何度も反復強化されるので、映画には解体される人肉の臭いと味が常に漂い続ける。作品内の「におい」を感じさせる映画は名作になると言うが、その最悪な例だ。

そしてこの映画はストーリーの構成もまたすごい。

改めて考えてほしいが、「殺した人間の死体を肉まんにして売り捌いていた実在の事件」なんてセンセーショナルな企画で主人公の殺人鬼を中盤で逮捕してしまう、事件が中盤で終わってしまうという思い切った展開は、常人には作れない脚本だ。似たようなことを思いつきはするかもしれないが、犯人が脱走してさらに犯行を繰り広げたりだとか、逮捕後は自白によって事件の詳細をただ解説するだけという凡作にしかならないだろう。ハリウッドがこぞって真似しないのが不思議なくらい画期的な構成だと思う。

そして、この映画はここからが本番なのだ。それまでコミカルな捜査を繰り広げていた警察官メンバーが、一転して容赦ない拷問を始める。狂った殺人鬼だったウォンさんが哀れな被害者へと変身し、拷問に泣き喚きボロボロになっていくという展開は見事である。猟奇殺人鬼がメソメソする姿も、被害者ぶってマスコミに訴える往生際の悪さも胸がむかつくし、何と言っても警察が喜んで繰り広げる拷問の描写がめちゃくちゃ最悪だ。何なら、殺人鬼のウォンさんよりも警察の方が残酷に思えてくるのだ。自分勝手に人を殺しまくって饅頭にして売りさばいていたオッサンが、虐げられる可哀想で孤独な被害者に見え始める。この倒錯感がまた不快で、よくもこんな頭のおかしな話を思い付くものだと逆に感心してしまう。殺人鬼だって人間なのだからこれもまたある種のリアルなのだが、いや本当、生半可な根性じゃこんな話は作れませんて。

ここでもまた、他人の小便を飲むシーンで「食」、味やにおいの感覚が強調されている。この「生への執着」という醜さが、また観客を複雑にさせる。こんなに最悪な「諦めずに頑張る人間の姿」があるかよ。ヒューマニズムへの冷徹な批評すらも感じさせる。

さらに拷問シーンで印象深いのが、ウォンさんに人質にされたことで恨みを抱く看護婦だ。彼女は皮下注射でウォンさんを眠らせない拷問を考え出すが、殺人犯でも国家権力でもなくただの医療関係者である彼女は、われわれ観客と同じ一般人という立場だ。実際、犯人への拷問が始まった当初は、観客側も少なからずカタルシスを求めて「この鬼畜野郎を痛めつけてやれ!」と思っていたはずである。そんな下衆な正義心が、この残酷な拷問シーンで見事に破壊される。善良なる一市民が、人肉饅頭を売っていたオッサンよりも醜悪な姿を見せるのだ。「注射への恐怖」「痛くて眠れない」という身近な拷問内容も絶妙で、看護婦とウォンさん両方の立場を味わい、観客の心はめちゃくちゃに振り回される。誰の中にも邪悪は潜んでいるという痛烈な指摘に、初見時も再見時も、このシーンで心を折られた。嬉々として拷問に参加する彼女の姿が本当にきつい。

しかしそうやって「お前ら観客も一皮剥けばこの犯人や警官と同じなんだよ!」と言い放っておいて、この映画はそこからさらにひっくり返す。クライマックスの強烈な子供殺しの回想である。これが本当に鬼気迫る胸糞悪い最悪の場面で、もはや頭がおかしいとしか言えない凄惨さだ。普通、映画作劇的には回想シーンは現実感や迫力がなくなるはずでクライマックスにするなど以ての外である。しかしこの映画の子供殺しは異様な禍々しさに満ちていて、むしろ回想という形式で語られることでより陰惨さが増している。拷問にはしゃいでいた警察メンバーさえもドン引きせざるを得ない狂いっぷりだ。先ほどまではウォンさんが被害者で警察や観客が加害者という構図だったのに、それをさらにひっくり返す究極の暴力を見せられて、観客は心を振り回されっぱなしでもう何がなにやら、とにかく呆然とするしかない終盤である。

クライマックスが回想というのもすごい構成だが、映画はさらに悪役のウォンさんが死ぬ瞬間を省略してしまう。こんなにドギツイ話がブツ切れのようにあっさりと終わってしまい、観客の気持ちは宙ぶらりんのまま、最悪な後味を残すのだ。

この自殺の件でも、饅頭と豚の解体と同じように前フリを用意しているのがまたうまい。ウォンさんが錆びた缶のフチに手首を擦り付け、見せつけるように血管を噛み千切ったシーンがそれで、あの鬼気迫る映像と缶ジュースのプルタブが結びつく瞬間は戦慄せざるを得ない。警察の拷問に耐えかねる殺人鬼の絶望なんて、本当によく描こうと思ったな。

こうした絶妙な構成があるからこそ、『八仙飯店之人肉饅頭』は他のホラー映画とは一線を画す凄味を得た。狂気と理性が巧みに融合した、歴史的名作だと思う。お祭り映画としても視聴できるテンションの高さ、エグい内容などで見落としがちだが、精緻を極めた表現だと言わざるを得ない。

この磨きぬかれた構成は、なんなら映画の教科書に載せてもいいぐらいに大胆で巧妙な脚本だったのではないだろうか。

あと、アンソニー・ウォンの演技は当然凄まじい。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ペンクロフ[*] disjunctive

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