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[コメント] 女の中にいる他人(1966/日)

能面のような新珠。家庭の幸福は諸悪の根源、を見事に語り切っている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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推理劇だな、そ知らぬ顔している新珠三千代が怪しいぞ、草笛光子が対抗馬、長岡輝子が大穴か、などと見ていると、事件時に現場付近にいて、始終オドオドしている小林桂樹が自白を始めるので拍子抜けする。しかしここからが面白い。

殺人者が自首したいのに周り(新珠のみならず三橋達也までもが)が止めとけと止めるドラマだ。原作「細い線」はその筋では有名作らしく、確かにこんな展開は画期的だろう。物語は獣道を縫うように進み、ついには「家庭の幸福は諸悪の根源」という処に出る。いまなら鬱病と云うところだろう、神経衰弱とかノイローゼとか云われる小林の症状こそが上記の始終オドオドで表出されていたのであり、別に推理劇はどうでもいいのであった(SMごっこによる死はさほどの重罪になるとは思われないが、子供への羞恥は大いにあるだろう)。

「貴方が死ぬなら一緒に死にます。貴方が生きるならどんなに暗い人生でも一緒に生きます。でも子供たちは一体どうなると思うの」と語る新珠には、確かに鬼子母神が宿っている。「子供たちも堂々と自首した父のほうがいくらかマシだと判ってくれる」という小林の決意に一旦「感動しました」と応えたうえで残酷へ踏み出す新珠はすでに鬼子母神そのものだ。新珠は一度も泣かないし取り乱さない。ナルセ=凸ちゃんなら慟哭のひとつもあった処だろう。比べれば本作はハリウッドの異常心理ものに近しいものがあり、ナルセ映画唯一出演の新珠にこの役割が振られたのだろう。本作の新珠は能面の印象がある。

唯一、小林が二度呟く「グラスに指紋が残っている」は、なぜ警察が見つけないのか判らず、製作者が集中力を欠いているように聞こえる(花瓶の指輪は草笛が三橋に渡しているから解決済)。タイトルは煽情的なよろめきドラマみたいで損しており、SMチックな殺人の方に似つかわしいのも紛らわしい。斎場の煙が真っ黒なのは時代(現代は必ず白い)。子たちのドライブかドリームランドか論争はドリームランドで決着したらしく、帰宅してから兄が妹の風船を癇癪起こして割ってしまうのだが、直後の、兄は小林より新珠に似ている、という会話は小骨のように引っかかりを残し、収束に向けてとても周到。

ナルセが洋間中心に撮った稀(他は次作の『ひき逃げ』ぐらいか)な作品。そこでは奥行きが強調され、外国推理小説の翻案らしく、かつはいつもの屋外の豊かな遠近感とよく呼応している。草笛が歩道の向こうからやって来る男を小林と見間違う(役者がすり替わる)奥行きショットが抜群。そして橋の下の投身遺体やトンネル入口での告白(新珠のドアップ付)という印象深いショットに至る。小林の自白直前、河原を日傘持ってスキップする新珠がとても華麗で、後半との対照に切なさが篭もる。

梅雨時の連続豪雨から夏の終わりの花火、荒れた海のラストまでの流れるような季節感も流麗で、件の海で子供ふたりが新珠に駆け寄るラストショットのストップモーションも見事に決まった。このストップモーション、新珠は子供たちを真に抱きしめることはないだろう、という意味と解して感動した。映画はこのショットで新珠を倫理的に罰しているのだ。名人の若々しい名人芸である。

(評価:★5)

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