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[コメント] 気違い部落(1957/日)

「善良」な大衆への興行的配慮など何もない振り切れた嫌がらせ映画(含『台風騒動記』のネタバレ)。
寒山

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







正面切った田舎者(これだって今に差別用語になるのではないか)風刺作という外面をしている。当時、田舎が厭で厭でという主題の邦画は山ほどあるが、そのなかでも際立っている。法より癒着を貴ぶ態度は、ストレプトマイシンより不如帰の黒焼きを貴ぶ態度と並べられる。しかし真面目過ぎるほど真面目な映画だ。スラップスティックにするなら水野久美が不如帰喰らって結核が治ったとでもしたい処だがそういう映画ではなかった(ただし、本筋に関係のない断片は煽情的過ぎる処もある。貧困な村なら赤犬喰って何が悪いとも思う)。

本作は『台風騒動記』(前年封切)と似ているが肝心の処が違う。脇役天国(「21人みんなが主役」とポスターにある)による談合体質の風刺は同じだが、山本作品では都会からやって来た佐田啓二が剣豪よろしく彼等を成敗するという通俗だったのに対し、本作にはそんなヒーローはいない。警官の伴淳三郎だって賄賂を着服するし、石浜朗だって何もできない。伊藤雄之助淡島千景の夫婦だって随分ずる賢い。

ラスト、この夫婦は村を捨てようとしない。この意外な収束(捨てるよ、普通)に力があった。イロニーは最後の伊藤のフレーズ「日本中どこへ行ってもおんなじだ」に至って頂点に達している。冒頭出てきた東京日本橋だっておんなじだと云っている訳だ。きだみのるの視点はそこまで届いており、この村は単なるサンプルだと最後の最後に断っているのだった。残念ながら、法より癒着が貴ばれる世の中は21世紀も変わらず日本中で続いている(最近(2017年)だって帰農者が村八分にされたというニュースがあった。村八分にした側の云い分は「村の輪ってものも考えて貰わないと」だった)。

本作が前半コメディ後半シリアスというウルトラ通俗パターンを使って成功しているのは稀なことだろう。その要因は多分、伊藤と淡島を前半巧く引っ込めていたためだと思う。森繁のナレーションは対照的に後半引っ込む。ナレーションは原作どおりだろう。森繁としては『銀座二十四帖』より面白くはないが、嫌がらせが主眼なのだから当然か。

撮影はカット尻が渋谷らしい淡泊さで、もっとじっくり撮ったらいいのにと毎度思うが、いいショットは豊富。蓄音機のかかる通夜の席で炭坑節に合わせて集団が踊り狂うショットなど素晴らしい。伊藤らの雨中の寂しい野辺送りの件は、村八分とはこういうものだとダイレクトに叩きつけていて凄味がある。このショットではもう戦後民主主義を問うという主題からも外れて、江戸時代の農民たちの村八分の呻きが聞こえてくる。村の面々にも最後にサラリと後悔の機会が与えられる。女衆は野辺送りを追う件、男衆は毎度の博打に飽き飽きしたというニュアンスを醸し出す件だ。ただそれだけであり、別に村八分の反省はしない。このニュアンスもまた深いものが感じられる。

ギャグはブラック過ぎて笑えない。東京の劇場で観たが、殆ど笑いがなかったのはみんな田舎者だったからだろう(なお、本作の舞台は八王子)。「奥様」と呼ばれて相好を崩す三宅邦子がいい。物語が進展しているのに、彼女だけこれに拘っているバカ奥様。山形勲は全般にわたって素晴らしく、本作は彼の代表作だろう。藤原釜足三井弘次がいいのは実力通り。

本作には当時の、科学への期待が見え隠れする。精神病も、ストレプトマイシンの発見により撲滅された結核のように、近い将来撲滅されるだろう。さらには社会科学により、旧慣と談合体質のムラ社会も立憲主義に進化するだろう。そういう期待である。現状、精神病はなくならず、いまだに続く談合社会においてただ放送禁止用語になっただけ、というのは本作最大のイロニーであろう。

(評価:★5)

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