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[コメント] 街のあかり(2006/フィンランド=独=仏)

宣伝担当者殺す!(レビューはひどいネタバレを含むよ)
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







宣伝担当者出てこい!殺す。殺してやる。どこの会社のもんだ!アミューズか!エイベックスか!アルバトロスか!それともやっぱり配給のユーロスペースが犯人か!

とにかく劇場予告編で全てのストーリーが分かってしまった。 「お前は利用されたんだ」って台詞と共に手錠を掛けられて刑務所のシーンまで写す。その上、ご丁寧に出所するワンカットまで入れて、売店の女と「全て終わった。なんて嘘。」「希望を捨ててないのね。」って台詞まで見せる。 ほんとひどい。結末以外全部予告で見せてる。嘘だと思うなら公式サイトを見てごらん。 そして、その結末に至ってはなんとチラシに書かれている。 「やがて、彼が必死で守ろうとした犬の導きによって、天啓というほかないラストシーンが訪れます。」 俺はこの映画を観て抱いた最大の感想は宣伝に対する憤りだよ。皿洗いのクダリ以外全部分かっちまうじゃないか!

さて、少し冷静にこの映画自体について考えましょう。 この映画には「希望」というキーワードが付いて回る。それはカウリスマキ自身が「希望で光り輝いている」と語っているせいだと思うのだが、ほとんど総て「希望に満ちた作品ですよ」と宣伝材料に使われている。

すると観る者は「それでも人は生きる希望を失わない」という“先入観”を持ってしまう。これも宣伝の悪影響なのだが、まあ、それはそれで一般的な解釈だろう。 だが私は少し違う。 アキが与えた“希望”は、「フランダースの犬」のそれに近いのではないだろうか。 はっきり言えば、アキが孤独な男に与えたのは「幸せな死」だったのではないだろうか。

だいたいさあ、「希望に光り輝いている」と語る直前にアキはこう言ってるんですよ。 「(孤独な)主人公にとって幸いだったのは、この映画の監督が心優しい老人(つまり自分)であったということです。」 真顔で冗談を言う男=アキ・カウリスマキ。 俺はそんなアキの言うことをマトモに信じることはできない。 三部作ということも“先入観”に拍車をかける。 だけど「労働者三部作」の時だってそうでしょ。最初の二作は希望を感じさせるラストだったけど、最後の一作はどうだった? アキの定義する「希望」は、必ずしも世俗的な意味合いではないのではないだろうか。

あの最後のワンカット。 もし「生きる希望」だとすると、ショットが足らない気がする。アキは決して下手な監督ではない。意図的なカットだと判断する。 おそらく、私の様な多様な解釈を観客に委ねたカットなのではないだろうか。

余談

我等がヒロイン原節子=カティ・オウティネンがスーパーのレジ係で出ていて、なんだか少し安心した。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Santa Monica TM(H19.1加入)[*] Keita[*]

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