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[コメント] 太陽(2005/露=伊=仏=スイス)

「歴史とは死児を想う母親の哀しみである。」

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







以下箇条書き。

●天皇裕仁(「ヒロヒト」なんていう書き方はなんだか皮相に思える)の存在は、既に歴史を超えて神話ですらあるのか。現人神から国家の象徴へという歴史的移行。が、何がどう移行したのか。

黒沢清の『カリスマ』がふと頭を過ぎったりもした。が、『カリスマ』にはなくて『太陽』にはあるものがある。それは「哀惜」だ。「歴史とは死児を想う母親の哀しみである」(小林秀雄)。最後のシーン、天皇裕仁の「人間宣言」録音に携わった若者が自決したと聞かされて、桃井かおり演じる皇后が表情を怒らしめる。「じっと見つめて。二人を見つめて! 全世界の女性の、母親の名において!」(そのシーンについての監督の言葉)。しかし自分がそのシーンを見て思ってしまったのは、日本の皇后が、日本の女性が、日本の母親が果たしてこういう表情をするだろうか、というちょっとした違和感だった。日本人は哀しむことを知っていても、怒ることは知らない(知らなかった)のではないか、などと他愛もないことをふと思った。

イッセー尾形が天皇裕仁を巧みに演じているように見える。けれどここに写し取られ、映し出されているのは、人間裕仁の人物というよりは、つまるところディフォルメされてカリカチュアライズされた「ヒロヒト」というキャラクタなのではないのか。イッセー尾形の「名演技」は「名模写」ではないのか。

●実相として打ち続いていく人間の歴史は、神話とは異なり、啓示に満ちた自足的な夢などではない。

○蛇足1。「映像センス」なんて言葉をこういう映画について使うべきだろうか。夜見た夢の生々しく荒々しいリアリティについて、「映像センス」なんて言葉を使うだろうか。

○蛇足2。本当のイマージュは、それ自体が産み出されるべき〈世界〉の種子である。

一言で言えば、「面白かった」。ただある作家のイマージュの産物を、歴史の実相と取り違えてはならない、とは思った。(自分のような歴史的事実に関する見識に乏しい人間は特に注意しなくてはならないと思った。ともあれ、そのような違和感を抱くのも、かえって自分がそこに同一化したいと思えてしまうからかもしれないけれども。)

(評価:★4)

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