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[コメント] 探偵はBARにいる(2011/日)

海で隔てられた地方の大都市、歓楽街。雪。完熟と云うよりはやはり半熟活劇(と言いたくなる大泉洋の演じ様)。でもそれなりには面白い。

映画にせよ小説にせよ、所謂「ハードボイルド」と云われるジャンルがあるのは知っているけれども、それがどんな内容のジャンルなのかはほとんど判らないでいる不勉強な人間なのだが、この映画は果たして「ハードボイルド」なのか。

個人的にこの映画を見始めてこの映画を気に入り掛けた瞬間がひとつあるのだが、それは冒頭のチンピラどもとの追いかけっこのシーンで、雪の降り積もった裏路を逃げていく探偵が、上へ下へと高低差のある経路を走りぬけていく、そんな構図を活かしてアクション演出をしているのを見た瞬間だった。雪国に住んでいる人ならばわかることかも知れないが、冬に堆く降り積もった雪は街の風景を一変させる。道が消えてしまうこともあれば、思ってもみないところに道が現れることもある。件の冒頭の追いかけっこのシーンは、降り積もった雪の高低差、その上下の感覚を活かしたアクション演出であって、そんな映画の舞台、その背景をきちんと活かしたアクション演出が出来るこういう映画ならば、あるいは面白いかも知れないと、そう思ったのだった。で、同様のアクション演出は他のシーンでも散見され、大泉洋がヤクザどもに生き埋めにされるシーン、あるいは似非右翼のアジトで戦ったり逃げたりするシーンでも、やはりそれとなく堆く降り積もった雪の高低差がキャメラの捉える構図の中に活かされているようには感じられた。

しかしながら、それはそれだけで、それ以外で映画として魅力を感じたところは、正直それ程にはない。イメージでしか判断出来ない素人なりにも言わせてもらえば、やはり古典的な意味での「ハードボイルド」な作品(そのイメージ)に比べれば、この映画の、とくに大泉洋はその演技のありようから言っても軟派に見えてしまうし、せいぜいが「ハーフボイルド」(黒沢清の『勝手にしやがれ!!』シリーズ)とでも評すべき作品であるようにも思えてしまう(思い出すのはやはり『ルパン三世』)。そんな中でもたとえば高嶋政伸のキモ面白い個性的なキャラクターのヤクザなんかは、見ていて心が踊るような如何にも虚構的=活劇的な要素なのだが、それはやはりそれだけで、ある意味他の要素から浮いてしまっている。尤もこれは、難しいところではあるのかも知れない。あらゆる要素に於いてそのような虚構的=活劇的な要素で埋め尽くされてしまえば、この映画はこの映画でなくなってしまうだろう。それは、実在のススキノという街を舞台にした映画としては有り得べからざることだったのかも知れない。この映画は飽くまで実在のススキノという街のリアリティと通じ合う形で存在しなければならないのであろうから。

しかしそれを言うなら、まさしくその「現実と地続きである設定の延長線上に虚構の物語を語る」という特徴は、むしろ貴重なものとしてあるかも知れないとも思う。たとえば東京から遠く離れたそれなりの大都市の歓楽街という条件なら、日本では札幌か、あるいは福岡くらいしか思い浮かばない。どちらも海を隔ててある程度独自の地方色(文化色)の強い大都市であることも共通している。ただ、福岡には雪がなく、札幌には雪がある。これは(とくに映画にするには)大きな違いかも知れない。この映画も、先述したように何気に雪がその舞台を印象的に設え、また彩っている。北海道の冬の独特の景色が、東北地方の冬の景色の様な日本的な情緒から隔てられた在り方でそこに映し出されていて(ある意味大陸的な風景)、この映画がこの映画である由縁の大きな要素となっている。そういったことを考え巡らせれば、この映画はある意味幸福なバランスで成立しているのかも知れない。東京ならぬ地方の現実の都市を舞台としつつ、そこで地に足着けながらも虚構的=活劇的な物語を語れることの幸福。続編が制作決定だそうだが、こういう邦画がシリーズとして制作されることは、悪いことではないと思う。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)シオバナカオル[*] ぽんしゅう[*]

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