★5 | 原正孝の映画だ。あいつ=自分という主体と客体が重なることで、現実と過去の風景を追いつめた。しかし、この映画は全く非現実的な欠陥がある。固有名詞を失った人物が錯綜しているからだ。この頃多くの貧しい映画作家(大島渚を含む)が固有名詞を失う恐ろしさについて映画化している。『砂の女』なども同様であろう。 [review] (chokobo) | [投票] |
★3 | 原正孝の脚本はバカがつくほど正直に心情を露呈しているのだが、それが「何か」に成り得るとはとうてい思えず、若者を珍しくも優しく見つめる大島の視線も柔すぎる。成島東一郎と編集の浦岡敬一が参加していなっかたら目もあてられない駄作になっていただろう。
(ぽんしゅう) | [投票(1)] |
★2 | 全共闘の程度の低さを記録して無惨。終わらせたいという衝動を何か高級なものとはき違えているのが傍目に滑稽。 [review] (寒山拾得) | [投票(1)] |
★3 | 『20世紀ノスタルジア』の原点?橋田壽賀子ばりの長台詞棒読みによる感情表現の抑制は学生運動におけるアジ演説の独特のイントネーションに通じるところがあって時代を映す。学生運動の終焉を暗示するようなラストも印象深い。
(TOMIMORI) | [投票] |