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[POV: a Point of View]
スペンサー・トレーシー

今度はキャサリン・ヘップバーンとの名コンビとして知られるスペンサー・トレーシーを特集。  プロフィール付  1900年4月5日米・ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。父親は自動車会社の重役、子供の頃から喧嘩に明け暮れる毎日を送り学校からも何度も放校処分となり高校卒業までに15回も学校を変わっている。第一次大戦に参戦し遊び仲間であった後にギャングスターとなるパット・オブライエンと共に実年齢を偽って海軍に従軍し大戦後も各地の学校を転々とし医者になるつもりで入ったリパン・カレッジの弁論部で熱弁を振るう内に、演劇に興味を持ちオブライエンを誘ってニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アートにそろって入学。カレル・チャペックの原作「R・U・R」のロボット役で舞台デビュー、全国を巡業していく内に役も大きくなりこの頃、ルイズ・トレドウェルという女優志望の女性と恋に落ち結婚。23年には名女優エセル・バリモアとブロードウェイ舞台「A Royal Fandango」で共演し注目を浴びる。29年に演劇界の大物ジョージ・M・コーハンの傘下に入り「The Last Mile」で獄中の殺人者役を演じて最初の当り役とする。この作品の公演の最中2本の短編映画に出演、この映画出演に味をしめたトレーシーはMGM、ユニーバーサル、ワーナー・ブラザーズのテストを受けるがすべて不採用となり「醜い、かといって悪役ができるほどの醜さでもない。」と散々言われ続けた、しかし巨匠ジョン・フォードが彼の舞台を観て「河上の別荘」(30年)の主役に抜擢され共演もまだ無名だったハンフリー・ボガートで結果的に映画は大ヒットしトレーシーに高い評価がつきフォックスと5年契約を結びギャング役やタフガイ等を演じていくが会社の企画に平気で文句を言ったり監督との喧嘩も絶えなかったり作品が気に入らないときは暴れてセットを壊したり酔っ払って喧嘩して逮捕される事もしばしばあった。フォックスで彼の演技を認められたのは33年の「春なき二万年」で当時ギャングスターとして人気があったジェームズ・キャグニーに対抗して初期はギャングスターとして売り出したが同年プレストン・スタージェス監督が脚本した「力と栄光」でたたき上げの鉄道総裁を好演し全体的に注目されるが35年に泥酔による逮捕で新作を助演に落とされた事がきっかけでフォックスに解雇される。同年MGMに入社し36年の「桑港」でアカデミー賞主演男優賞に初めてノミネートされ翌年の「我は海の子」とその翌年の「少年の町」で2年連続で受賞し人気が一気に急上昇する。ノミネート数はアカデミー賞だけでも9回された。55年の「日本人の勲章」でカンヌ映画祭の最優秀演技賞をまた58年の「最後の歓呼」で全米批評家協会賞を受賞。40年代からはキャサリン・ヘップバーンとの名コンビで知られ9本の作品で共演。50年代に入ると実年齢以上の役柄で出演するようになる。60年代は病魔と戦いながらも映画に出演し妻のルイズとヘップバーンが交替で看病をした。67年の「招かれざる客」を遺作に同年6月10日心不全で67年の生涯を閉じた。キャサリン・ヘップバーンを始め様々な俳優が彼に高い評価をあたえた。
A★4招かれざる客(1967/米)人種問題を絡ませているが、話自体は普通に結婚問題をあつかったと言う感じ。しかし、娘の幸せ、父親としての気持ちから娘の結婚に頭を悩ます父親の心情が上手く描かれていると思う。 [review]投票
A★3ニュールンベルグ裁判(1961/米)役者に関しては結構豪華。 [review]投票
A★0桑港(1936/米)
A★0激怒(1936/米)
A★0火の女(1942/米)
A★0アダム氏とマダム(1949/米)
A★0花嫁の父(1950/米)
A★0可愛い配当(1951/米)
A★0パットとマイク(1952/米)
A★0折れた槍(1954/米)
A★0デスク・セット(1957/米)
A★0老人と海(1958/米)
A★0西部開拓史(1962/米)
A★0おかしな・おかしな・おかしな世界(1963/米)
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