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[コメント] トーク・トゥ・ハー(2002/スペイン)

マザコン、ホモ、ストーカーと、今ふうに言ってしまえばイタイ男の代表のようなハビエル・カマラだが、愛情に対して純粋であり過ぎた男だったとは言えないだろうか。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







カマラは20年にわたって母親の介護をし続けてきた男だった。そのあいだの事はこの映画では描かれないが、恐らくは友情や愛情を犠牲にしての献身的な尽くし方であったろうことは、レオノール・ワトリングへの介護の態度を見れば容易に予想できる。だが、ワトリングとカマラは大した会話を交わしていないどころか、落し物を拾ってやったことにまつわるわずかな言葉のやり取りしかしていないのだ。

それに較べれば、記者グランディネッティと「女闘牛士」というおよそ現実的ではない存在であるフローレスの関係は、恋愛に発展する可能性がないとも言えなかった。家のなかの蛇を退治したという、またもや異常なきっかけから始まったとはいえ。

さて、フローレスの植物化に先立ってワトリングは深い眠りにつき、カマラは排泄や月経の処理すら厭わずに、しかも一方的に彼女を退屈させない(と思い込んでいる)語りかけを行なっている。ワトリングは何時の間にかカマラの熱烈な恋人にさせられてしまっているのだ。ちょうどカマラの観るサイレント映画で、「縮みゆく男」が恋人の体内に入っていって恋を絶対化させるように、彼がワトリングを肉体関係の相手に選んだのは当然の帰結だった。それを「罪」だなどと判っていても思いはしなかったからだし、彼が看護を続けた最大の目的はそれであったに違いないからだ。

カマラの愛のなかでワトリングが唯一無二の相手になっていたのは、ひとえに彼の愛のプリミティブさを要因とする。同じ境遇に戸惑うグランディネッティを抱きしめたいほどに「愛する」に至ったのと同じ理由からだ。彼のなかではスピリチュアル・ラブとフィジカル・ラブの区別も、友情と愛情の区別もついていない…おそらくは母親の介護を続けていた少年時代から、そういうピュアな彼はこの世界のモラル以上に愛情を優先させることに躊躇しなかった。そして精神的欠陥から一生をワトリングと逢えない施設で過ごすより、死を選んだのも至極当然と言えるだろう。彼ほどピュアに生きられるこの世ではないからだ。

ラスト、フローレスを喪ったグランディネッティと、カマラを喪ったワトリングはともに惹かれあう。それを運命などという言葉で括りたくはないが、純粋すぎたカマラの導きによる代役同士の舞台であったようにも見えてくる。

(評価:★4)

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