[コメント] おもひでぽろぽろ(1991/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
高畑勲監督の映画はどうも説教臭いところがあってあまり好きではないが(それを言ったら宮崎駿監督も一緒か…)、初見の際、これは比較的素直に観ることが出来た(丁度フリーターやってた時だったので、その時の精神状態も大きな理由だと思うけど)。
この作品は二部構成となっており、現実世界に生きる自分自身と子供の頃の想い出が交差する形で物語が形成されている。想い出のはずの子供時代が現在の自分のあり方に干渉すると言う面白い構成が用いられており、それは上手く作られていたと思う(出てくるのが何故か“小学5年生の私”しかいないとか、それからどうやって今のような成長をしていたのかがすっぱり抜けているとか、いくつかアラがあるけど)。過去の再検証と、現在の、そして未来への自分自身を見つめていくというのは、ある意味カウンセリングマインドに則ったやり方でもある。
仕事をしていると、不意に「この仕事は私には向いていないんじゃないかな?」と思える時がある。この主人公タエ子も丁度そう言う精神状態だったらしく、田舎に向かう汽車の中で不意にこどもの頃の記憶が蘇り、それに引きずられ続ける。それで結局田舎で生きることを彼女は決心するわけだが、多分その辺が身につまされたため、随分それに共感したのだろう。実際、その後、今の仕事を始めてからもう一度テレビで見てみたが、さほど共感を覚えると言うほどではなくなっていた。その乗り切れない部分、不思議な違和感と言うべきか。それが何か、とコメントを書きながら今考えてみて、ようやく多少理解できた気がする。
この主人公のタエ子は、結局逃げてるだけじゃないのか?今の仕事から逃げ、逃げている自分を自己正当化するために、姉と父、学校で抑圧された自分自身を引き合いに出すことでそれを正当化しているような部分があるし、逃げたはずの田舎で、やはり結婚と言う文字が出ただけで逃げる。そして最後は帰らねばならないはずの自分から逃げる。結局全編に渡って“今”から逃げる方法を模索しているばかりじゃない?それで最後は本当に逃げてしまって終わるのだが、それを正当化しようとしている姑息な部分。結局それが辺に腹の立つ部分となっていた気がする。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (8 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。