コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] エルミタージュ幻想(2002/露=日=独)

全編ワンカット、さらに全編主観ショットとする、という企ては確かに不適切な選択だったのだろう。またこれらが喧伝され過ぎたことが見る者にとっては不幸だったとも思う。この映画が途切れないカメラアイの制約から解放されていればどれほど良くなったかと誰もが思ってしまうのは当然だ。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 しかし、私には極めてスリリングな体験だった。それはカットが途切れないことからくる画面上の制約に甘んじず、敢えて超越しようという演出の意志が類稀な緊張感を醸成しているように私には思えた、ということ。

 まず、このステディ・カム撮影はワンカットでありながら、見事にカット割を意識させていることにすぐさま気がつく。人物のフレーミングは多くはフルショットなのだが、要所要所でアップを用いたり、パースペクティブなロングショットもある。見事なバストショットもある。当然流れるようなカメラワークが主体だが、ポイントでは見事な構図のフィクスになる。言葉を換えればカッティングをしないでカット割を意識させる、というある種の冒険をやっている。後から思い返えすと手のアップや屋外を歩く人物のロングなんかはとてもカット繋ぎが無かったようには思えない。或いはキュイスティーヌと学芸員(?)が扉を挟んで頬を膨らませ「ブー」とやる場面の突出して濃密な空気間。

 また、主観ショット、つまり人間の視点で切り取られた映像という設定にはなっているが、それを首肯するのはあくまでも画面外からナレーションが入るからだし、時折登場人物のカメラ目線があるからであって、このステディ・カムの映像は現実の人間の視点とはかけ離れている。また、ダンスシーンのスペクタクルはとても人間の眼差しだとは思えないではないか。それは私には現実らしい眼差しの造型をはじめから放棄したものだと感じられる。さらに云えば主観ショットとは謳っているが、やろうとしたのはあくまでも客観的なカメラアイであり、主観ショットと見紛わせながら神の視点とも云うべきカメラの視点を狡猾に突きつける危うさだったのではないか。

 そしてこの作品がまさに「映画」だと感じるのは、広大なオフ・スクリーンの演出だ。なんと贅沢なオフ・スクリーン。建築物としてのエルミタージュやその所蔵品をまるで見せる気が無いような切り取り方をし観客をイライラさせるのもオフ・スクリーン演出の戦略だろう。ラストで唐突に海原を持ってくるなんて、なんと徹底していることか。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (4 人)ジェリー 赤い戦車[*] 3819695[*] moot

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。