[コメント] 幻の光(1995/日)
柔らかな照明と、端正かつ静謐なロングショットで、人物の「全身」を捉えようという、ごく平凡な試み。それを支えるのは是枝の圧倒的な技術である。それと彼は「回顧主義者」では無い。明らかな「廃墟愛好者」である。
路地裏・トンネル・工場・無人駅・寒村・陸の船・老人ばかりの市・・・と、廃墟マニアなら涎を垂らして喜ぶような(悪く云えば趣味的な)映像を満載して、是枝監督が描いたテーマは、余りに普遍的でややもすれば現代性に欠ける、「拭えない喪失感」と「自殺者が見る幻の光」。
革新性など何も無かった。しかし、退屈はしなかった。
それが是枝監督の圧倒的な技巧に寄ることは明らかである。このデビュー作は、技巧的には、監督四作目となる『誰も知らない』に全く退けを取らないし、大袈裟に云えばそれ以上だ。確かに役者はシルエットさえ端正なら、誰でも良かったのだろう、人物の配置は素晴らしいし、数少ないバストショットの挿入も効果的で、無人ショットの重ね方などは小津コピーとしては最高の部類。能登の景観の美しさも、監督の執念とねばり強さの成果だろう。
だがしかし、これだけではまだまだ駄目だ。これでは天下は撮れないし、客も入らない。作品が「現代的」でない分、’95年当時の「今風な」キャスティングが、やたら胡散臭く感じられてしまう。
この頃、映画監督・是枝裕和はまだ未婚者であった。彼の真摯と技巧には、嫁が必要だったのである。「現代」という嫁が。
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