[コメント] 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか(1964/英)
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絶望に直面したときの人間の弱さ
手袋をつけたストレンジラブ博士の右手がなんとも恐ろしい。まるで意思を持ったかのように勝手に動き出してナチス式敬礼をしたり、あげくの果てには自分の首を締め付けたりする。この恐ろしい右手は、絶望に直面したときには自分以外の何かに依存しやすくなってしまうという人間の弱さを象徴しているのだと思う。例えばナチス政権の誕生の一因が、第一次大戦の敗戦による精神的経済的な絶望にあったことはよく言われることだ。
そしてこの絶望時における他者への依存は、一度陥ったら簡単には抜けられない側面ももっている。ストレンジラブ博士はアメリカに帰化したという設定になっているが、自分が過去に依存していたヒトラーの亡霊からのがれられないでいるではないか。
さらに恐ろしいのは、この傾向はどんな人間でさえも陥ってしまう可能性があるということである。皆殺し装置の発動後にいたっては、それまで冷静な常識人然としていた大統領さえも、選民的地下生活という博士の異常な提案を真剣に聞こうとするのである。人間誰しも弱いものなのだ。普通の気弱なイギリス人、毅然としたアメリカ大統領、そして異常な博士というまったく違う3人の人間をピーター・セラーズが一人で演ずることによって、移ろいやすい人間の弱さが際立ってくる。
こんなふうに考えながら勝手に動き出す博士の右手を見ていると、まるで意思をもった別の生き物のようにさえ見えてくるのである。そう、ピーター・セラーズは4役を演じていたのだ。
参考にした本:フロム「自由からの逃走」
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