[コメント] 突撃(1957/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
思い切りネタバレです。
兵士を捨てコマのように見なす上官に、とうとう抑えていた怒りをぶちまけた主人公の大佐は、その直後兵舎の食堂で休息をとっている兵士たちを外から覗く。そこでは彼らが、捕えられた一人の敵国の女性に対し、野卑丸出しのひやかしを繰りひろげていた。大佐は「俺が自らの誇りを盾に守ってやったのはこんな下卑た奴等だったのか」大佐は嫌悪感をあらわにするが、女性が歌いだした兵士たちの国の悲恋の歌を聞くうちに兵士たちは皆やがて静まり涙を流し始める。「俺達だって好きでこんなささくれだった心になったわけじゃないんだ」と言わんばかりに。大佐はそれを見て自分のとった行動に満足し、前戦へ向かえという伝達兵に「少し待ってやってくれ」とかなんとかいって終る。
かっこいい。戦争、軍隊という中にあっても人が人間らしい心を失わないという「希望」。普通ならここでヒューマン精神にあふれた大佐の表情を映し、感傷的なテーマが流れる。シナリオ的には何となくそんなイメージが浮かんできそうだ。
ところが、キューブリックはズームアウトした大佐の歩く姿に、勇壮なマーチを流してしめくくる。これでは「希望」ではなく、兵士も大佐も、所詮「軍隊」というシステムに収斂されていく存在にすぎないっていう「諦念」という印象だ。
このシーン、何か脚本からズレているような仕上がりになっているのではないかと思った。かっこよく決めた大佐にあの選曲、あの演出っておかしいんじゃないか?と違和感を感じた。そこで「ダグラスは騙されたのか」と題してコメントを書こうと思っていた矢先に黒魔羅さんのコメントを目にした(詳しくは黒魔羅さんのコメントを読んでください)。それを読んでとても不思議なのが、この結末、むしろダグラスがやり直しをさせてこうなったという点だ。でもこの終らせかた、というか事物のとらえ方はとてもキューブリックっぽいと私には思えるのだ。
そこで思ったのは、あのシーンでダグラスが意図したヒューマニズムこそ、キューブリックには安易な代物で、そんなのだったら「いっそもっと人情的なのはどうだい」と、脚本を書き直したのではないだろうか? それに対し元のシリアスなストーリーに戻せと怒ったダグラスの主張通りに撮影を行い、ああいう演出を施した。そこにダグラス氏を嘲笑うかのような、29歳のキューブリックの姿を見出したりするのは考えすぎだろうか?
私は僅か数分間の描写で人間の心性や組織というものの姿を切り取ったこの一連のシーンがとても気に入っている。勿論『プライベート・ライアン』はこれの影響を受けたな、と思わせる戦闘場面もいい。
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