[コメント] ロリータ(1962/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
思いがけず奥さんがああなって、「ああ…これからロリータと2人っきりに…」と、甘美な妄想に心臓がバクバクはちきれそうになるあたりがドラマとしてはピークで、それ以降ふつうの心配性のお父さんのような話になってしまい、思わずティーンの女の子のほうに肩入れしたくなるような場面もちらほらな、散漫な出来になってしまったと思う。
それでも興味をつなぐのは、世間からも娘からもその欲情を実は見透かされているのに、ロリータとのダイレクトな関係は拒む教授の性愛のこだわりがドラマを生み出していくからだ。キャンプでの男友達とした「ゲーム」の告白の時にでも、いっそ肉体関係にまでいってしまえばよいものを、そうしなかったことから自縄自縛に陥り、その煮詰まった状況を一目で見抜いた放送作家が、それをひたすらあぶりだそうとするのである。このキャラをピーター・セラーズが絶妙な演技で説得力のある存在にしてしまったことが良くも悪くもこの作品の目玉になってしまった。お蔭で、きれつの元凶である教授の理想の愛の形=ロリータのエロティシズムへの言及が置き去りにされてしまった。
妄想日記を書くという行為そのものにこそ悶えたり、ペディキュアの足をうっとり眺めたり、聖性を保持しながらつかずはなれずな関係を持ち続けることこそ教授のこだわり、「女の子とのたわむれてる感」こそが教授の願いだった。放送作家が暴こうとしていたものは、下心だとかいうもっと浅い部分であって、ロリータ愛の本質とは無関係である。教授を破滅に追い込んだのは、作家の攻撃や、作家に感化された娘の家出・結婚とかの行動ではなく、愛すべきロリータは自分のエロティシズムを託し得うる存在ではハナからなかったことを最後まで認めようとしなかったからである。難解なシチュを要求してはなかなか女の子にわかってもらえずキモがられている風俗客がかかえているような煩悶に自滅していったのである(わかりにくい?)。ドラマがテーマを語っていないところがこの作品の弱いところだと思う。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (5 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。