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[コメント] 父ちゃんのポーが聞える(1971/日)

松竹撮影所の街・大船の唯一の映画館だった「大船オデオン座」の思い出のタイトルは、これと『どですかでん』だった。(両方とも東宝作品なんだけどね:笑)
水那岐

俺は小学五年生までを大船で過ごしたのだが、不思議と親たちは俺を怪獣もの以外の映画に連れて行ってくれなかった。

父親は邦画好きだったようだが、母と『独立愚連隊』に行ってヒンシュクを買ったのが嫌な思い出になっていたのかもしれない。ついでに母親は、二番館の小便臭いニオイが嫌いだった。

だから、駅の東口にある「オデオン座」の広告が西口の駅近くに張り出されているのを、俺は羨望の思いで眺めていたのだった。のちにポルノ映画館に変わってゆき、『ネオンくらげ』『未亡人殺しの帝王』『温泉みみず芸者』といったタイトルに吹き出しそうになるのをこらえることになるのだが、その頃はまだ一般二本立て映画館だった。で、『父ちゃんのポーが聞える』である。小学校で教える送り仮名は「聞こえる」だったから、このカントク頭悪いなあ、などと頭の悪い優越感に浸りつつも、そのタイトルの暖かさに夢中になってしまった。恋してしまった、と言ってもいいかもしれない。反対に怖れたのは『どですかでん』だった。プリミティブで不気味な原色ポスターの横に書かれた、呪文めいたタイトル。通学路で仕方なくそのポスターの前を通るときは、顔を背けながら通り過ぎた。

さて、三十余年のブランクを経て鑑賞した『父ちゃんの…』は、ベタなお涙頂戴映画とは言いながら、主人公の描き方において今の「泣かせ」映画とは一味もふた味も違うものだった。主人公は健気に病気に立ち向かうのではなく、エゴイズムをむき出しにする。他の幼い患者に嫉妬する。父やおのれを呪い、「馬鹿野郎」と悪態をつく。詩を書くことだけが生き甲斐だったのに、それをする力が失われたと絶望する。

それでも、あの当時の吉沢京子の清々しさと可憐さ(これはSLと同じく、その当時にして淡くはかないものだった)、そして小林桂樹の日本の「父ちゃん」ぶりには涙腺を緩まされる。忘れられないのはかまたきの藤岡琢也だ。彼は機関士になれない負け犬だ。それでも、彼の毒舌の裏にある善人ぶりが悲しい。娘を俺のほうがもっと大切にしてやるとうそぶく優しさが悲しい。

ともあれ、俺としては充分及第点を捧げられる映画であるのは、三十年越しの「恋」とあながち無縁ではなかったりするのだ。

(評価:★4)

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